ミステリ作家は死ぬ日まで、
黄色い部屋の夢を見るか?
~阿津川辰海・読書日記~


「いったい、いつ読んでいるんだ!?」各社の担当編集者が不思議がるほど、
ミステリ作家・阿津川辰海は書きながら読み、繙きながら執筆している。
耽読、快読、濫読、痛読、熱読、爆読……とにかく、ありとあらゆる「読」を日々探究し続けているのだ。
本連載は、阿津川が読んだ小説その他について、「読書日記」と称して好き勝手語ってもらおうというコーナーである(月2回更新予定)。
ここで取り上げる本は、いわば阿津川辰海という作家を構成する「成分表」にもなっているはず。
ただし偏愛カロリーは少々高めですので、お気をつけください。
(※本文中は敬称略)


著者
阿津川辰海(あつかわ・たつみ)
2017年、本格ミステリ新人発掘プロジェクト「カッパ・ツー」第1期に選ばれた『名探偵は嘘をつかない』でデビュー。作品に『星詠師の記憶』『紅蓮館の殺人』『透明人間は密室に潜む』がある。

目次

最新~第14回

2021.09.10 第22回“日本の黒い霧”の中へ、中へ、中へ ~文体の魔術師、その新たなる達成~

2021.08.26 第21回世界水準の警察小説、新たなる傑作 ~時代と切り結ぶ仕事人、月村了衛~

2021.08.13 第20回 特別編6七月刊行のミステリー多すぎ(遺言)~選べないから全部やっちゃえスペシャル~

2021.07.23 第19回 特別編5ヘニング・マンケル「ヴァランダー・シリーズ」完全攻略

2021.07.09 第18回皆川博子『インタヴュー・ウィズ・ザ・プリズナー』

2021.06.25 第17回ユーディト・W・タシュラー『誕生日パーティー』

2021.06.11 第16回 特別編4D・M・ディヴァイン邦訳作品全レビュー

2021.05.28 第15回ベア・ウースマ『北極探検隊の謎を追って:人類で初めて気球で北極点を目指した探検隊はなぜ生還できなかったのか』

2021.05.14 第14回 特別編3ディック・フランシス「不完全」攻略

第13回~第9回

2021.04.23 第13回ヨルン・リーエル・ホルスト『警部ヴィスティング 鍵穴』

2021.04.09 第12回恩田 陸『灰の劇場』

2021.03.26 第11回佐藤究『テスカトリポカ』

2021.03.12 第10回高橋泰邦『偽りの晴れ間』

2021.02.26 第9回ロバート・クレイス『危険な男』

第8回~第4回

2021.02.12 第8回 特別編2 ~SF世界の本格ミステリ~ ランドル・ギャレット『魔術師を探せ! 〔新訳版〕』

2021.01.22 第7回ジョー・ネスボ『ファントム 亡霊の罠』

2021.01.08 第6回清水義範『国語入試問題必勝法 新装版』

2020.12.25 第5回 特別編~クリスマスにはミステリを!~ マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー『刑事マルティン・ベック 笑う警官』

2020.12.11 第4回ケイト・マスカレナス『時間旅行者のキャンディボックス』

第3回~第1回

2020.11.27 第3回エイドリアン・マッキンティ『ガン・ストリート・ガール』

2020.11.13 第2回ジェフリー・ディーヴァー『ネヴァー・ゲーム』

2020.10.23 第1回ジョセフ・ノックス『笑う死体』

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第22回2021.09.10
“日本の黒い霧”の中へ、中へ、中へ ~文体の魔術師、その新たなる達成~

  • デイヴィッド・ピース、書影


    デイヴィッド・ピース
    『TOKYO REDUX 下山迷宮』
    (文藝春秋)

  • 〇今月も本の話題から

     スタニスワフ・レム、生誕百周年ですって! おめでとうございます!!

     百周年記念の一環として、国書刊行会から〈スタニスワフ・レム・コレクション〉第Ⅱ期が刊行されるそうです。今月の『インヴィンシブル』が第一弾。これは『砂漠の惑星』の新訳版ですね。各種短編集の刊行はもちろん、『捜査/浴槽で発見された手記』なども新訳刊行とのこと。『捜査』が私は結構好きなんですが、後者はサンリオSF文庫の言わずと知れたキキメ(流通量が少ないからか古書でも高価な巻)で、古本に強い友人に貸してもらって読もうと思っていたのに機会を逃して、実はまだ読んでいないんですよねえ。なので読めるのが楽しみ。〈泰平ヨン〉シリーズの最後の作品『地球の平和』や、レムの連続インタビュー集『レムかく語りき』なども早く読みたいですねえ。

     早川書房でも、あの傑作『ソラリス』が新カバーで登場とのこと。ホログラム加工で虹色に光るらしいです。『ソラリス』のことはあまり好きすぎて、家にハヤカワ文庫旧版(『ソラリスの陽のもとに』)、国書刊行会版、ハヤカワ文庫新版、電子書籍と4冊あるのですが、また『ソラリス』を買ってしまうのか……いや、買うでしょう。買いますね。

     私は『ソラリス』『完全な真空』『虚数』あたりがすごく好きです。『ソラリス』はファースト・コンタクトSFとしての強靭で力強い面白さと、読むたびに「違うジャンルの小説の読み味」で楽しめる奥行きが、後者二冊は、私はヘンな小説が好きなので好きです。それぞれ、〈存在しない本〉の書評集と、序文集という体裁の本なのですよ。そのうち、読書日記も存在しない本を取り上げることがあるかもしれませんね(そんな虚無回は作ろうと思っても作れません。難しい)。

    〇待ってたぜ、デイヴィッド・ピース!

     という冗談はさておき、今回は腕にずっしりと来る重量級の一冊を取り上げましょう。それこそがデイヴィッド・ピースの『TOKYO REDUX 下山迷宮』(文藝春秋)です。待っていた、本当に待っていました。デイヴィッド・ピースによる〈東京三部作〉の完結編にあたります。この三部作は、GHQ占領下で起きた昭和の犯罪を題材にとっていて、一作目『TOKYO YEAR ZERO』(文春文庫)は小平事件、二作目『占領都市 TOKYO YEAR ZERO Ⅱ』(文藝春秋)は帝銀事件、そして本作は副題から分かる通り下山事件ということになります。

     この「東京三部作」は、実際の事件が持つ荒涼で暗澹たる「黒い霧」を描きつつ、それをピース文体によるノワールの中に効果的に取り入れた三部作です。ピースはデビュー作『1974 ジョーカー』(ハヤカワ・ミステリ文庫)から続く〈ヨークシャー四部作〉で、ヨークシャー・リッパーを題材にとって、暗黒のヨークシャー史を描いてきましたが、そのピースが目をつけたのが日本の昭和史だったというわけです。東京大学の文学部講師であり、芥川龍之介など日本文学に造詣が深いことを考えると、それも当然と言えるかもしれません。

     もちろん、これはミステリー、ノワールの範疇に属する作品なのですが、私がピースと出会ったのは、大学の文芸サークルに所属していたSF読みの先輩の影響でした。「これが面白いぞ!」と言われて『TOKYO YEAR ZERO』の単行本を渡されたのです。「この人がミステリーを褒めるとは珍しいな」と思って読んでみたら、これが面白いのなんの。私はミステリーとしての構成に感嘆したのですが、先輩には英国人作家が書いた昭和の像が刺さった様子。私は今からミステリーとしての本書の魅力を語るのですが、『TOKYO YEAR ZERO』の解説に、本書が浦沢直樹『BILLY BAT』に影響を与えたと書かれていたことからも分かる通り(正確にはストーリー共同制作者の長崎尚志がインタビューで語っているのですが)、多面的な魅力を持つ作品なので、文芸作品として読んでも十分な実りがある作品だと思う、ということを、思い出話に添えて言っておきたいと思います。

    〇ノワールなんかこわくない

    「実際の事件」を取り入れたフィクション小説は、ノワールと呼ばれるジャンルの十八番です。この「ノワール」というものがどんなものかを念のため補足しておくと(この言葉の語感が同年代に伝わりづらいというのを、肌感覚で知っているからです)、これは「孤独や屈折を原因として、精神的な自壊、破滅に陥るまでの過程を描く小説」であると私は考えています。この過程において、ファム・ファタール(運命の女)が多く登場したり、独特の文体や特徴的な表現手法を用いたり、実在の事件が持つ闇を取り入れたりするわけです。ちなみにこのノワールの勃興においてアメリカの大恐慌による不安がもたらした影響も分析しつつ1900年代前半からのノワールの勃興を見つめる諏訪部浩一『ノワール文学講義』(研究社)であるとか、私の定義よりもよっぽど完璧でかっこいい定義づけを書いている『1974 ジョーカー』の池上冬樹激アツ解説とかを読むと、よりニュアンスが伝わるかもしれません。

     この「実在の事件が持つ闇を取り入れ」るという部分ですが、例えば、そもそもノワールという時必ず引き合いに出されるジェイムズ・エルロイの『ブラック・ダリア』(文春文庫)からして実際の惨殺事件を題材としているわけです。同じ事件を題材としたマックス・アラン・コリンズの『黒衣のダリア』は、主人公であるネイト・ヘラーという私立探偵が、この殺された女性と昔恋仲だったという設定まで付け加えて、虚々実々の調査行で読ませてくれますし、ネイト・ヘラーものでは他にも禁酒法の時代のアル・カポネ(『シカゴ探偵物語』、扶桑社ミステリー)や、リンドバーグ誘拐事件(『リンドバーグ・デッドライン』、文春文庫)と実在事件を取り入れていきます。いずれも大変良い作品です。オススメ。これはノワールだからというより、例えば『タイタニック号の殺人』(扶桑社ミステリー)では史実に基づいて船上のジャック・フットレルが謎解きに挑む本格ミステリを書いていたりするので、コリンズ自身の特色でもあるのでしょう)。最近私が解説を書いたジョゼフ・ノックスも二作目『笑う死体』(新潮文庫)において「タマム・シュッド事件」という、歯を見せて笑いながら死んでいる身元不明死体の事件を想起させる事件を主人公に解かせます。

     こうした手法の何がいいかというと、やはり、リアルが持つ生々しい質感が、ずっしりと体に覆いかぶさってくる感覚だと思います。例えば前述の『笑う死体』では、死体が『ルバイヤート』の破ったページの紙片を握らされているという描写があるのですが、どうも調べるとこれは「タマム・シュッド事件」を反映したもののようです。どう考えても現場にそぐわず、身元不明の死体に関する唯一の手掛かりに見えるけれども、どうも据わりが悪い。落ち着かない。不安になる。この落ち着かなさというのは、フィクションとして作られたものに挿入されたリアルの質量によるのではないかと思うのです。

     そしてこの「不安」というのは、ノワールの語り手の精神的自壊に読者を巻き込むために、必要不可欠な要件だと思います。大変雑な言葉を使えば、私の中でノワールの評価は「ノレるか」に大きくかかってきます。鬱屈や孤独、そうした語り手の心情描写にどこまでのめりこめるか。語り手が感じている「不安」を読者も感じることが出来るか。癖のある文体を導入したり、決定的なタイミングで特徴的な文体を取り入れる(例えばジム・トンプソン『残酷な夜』『死ぬほどいい女』〔扶桑社ミステリー〕などの終盤を読むと伝わると思います)のも、ザラッとした肌触りを与えて読者の「不安」を煽っているのではないかと思っています。現実の事件を取り入れることによって、フィクションが私たちの現実へと浸潤してくるような「不安」も惹起され……。

     と、まあ、あまりに長い脱線をしてしまいました。ともあれ、おおざっぱに言うと、①精神的自壊、②特徴的な文体、③(実在の事件がもたらす)重みと不安。こうした要素を兼ね備えた作品が、ノワールであり、その中でも飛び切り「ノレる」作品がノワールの傑作だと、私は考えているわけです。③のカッコ内については、必ずしも不可欠ではないのでカッコにくくってみました。

     そう、この①~③までを兼ね備えた私の大好きなノワール作家というのが、ジム・トンプソン、チャールズ・ウィルフォード、ジェイムズ・エルロイ、馳星周、そして、このデイヴィッド・ピース、というわけです。

    〇ピースの〈ヨークシャー四部作〉、その文体

     デイヴィッド・ピースのデビュー作となった『1974 ジョーカー』から始まる〈ヨークシャー四部作〉は、先にも述べた通り、ヨークシャー・リッパーの史実に基づき、暗黒のヨークシャー史を描く四部作となっています。実在事件の持つ「闇」を作品に取り入れる、という先ほど指摘した特徴がきちんとあるわけです。これはもちろん、ピースがエルロイに影響を受けているゆえなのですが、そこについて語ったピースの言葉がまた、良いんですよね。『1983 ゴースト』(ハヤカワ・ミステリ文庫)の巻末に掲載された「作家対談 デイヴィッド・ピースvs.小川勝己」から引用します。

     “――ピースさんはジェイムズ・エルロイを目標としているとおっしゃっていますが。
    ピース……エルロイは歴史について情熱をもっています。彼の書きたいと思っていることと自分の書きたいことがかなりオーバーラップしている。エルロイは自分のスタイルを変えながらもそれを強烈に押し出す、それが成功するかどうかわからない危険性がありながらも押し出すところは感銘をうけます。いつかは越えていきたいと思っている。
    小川……エルロイといえば、馳星周さんがエルロイを意識して作品を執筆したことがありましたが、そうしたことで「おれはエルロイじゃないことがわかった」と言われたそうですね。
    ピース……作家はそうした他の作家を意識することで自分のスタイルを認識します。エルロイ自身というのもダシール・ハメットを何度も何度もコピーすることで自分のスタイルを確立してゆく。そういう「父親」のような存在を持っていた。作家というのはそういう「父親」をいつか殺さなきゃならない。父親殺しの日がくるんですね。”(同書、p.830-831)

     エルロイが「歴史について情熱をもってい」ると指摘し、その情熱に果敢に挑んでいくピース。〈ヨークシャー四部作〉はもちろん、今から語る〈東京三部作〉もまた、その延長線上にあると言っていいでしょう。ちなみに、対談者の小川勝己の小説は私、かなり好きで、『眩暈を愛して夢を見よ』(角川文庫)とか『撓田村事件 ―iの遠近法的倒錯』(新潮文庫)とか『ぼくらはみんな閉じている』(新潮社)とか……今から考えると、ノワールを感じていたから好きなのかもしれません。

     閑話休題。文体の面でも、ピースの四部作はエルロイに対する「父親殺し」の試みの一環だったのではないかと、あとから振り返ると思わされます。エルロイ文体の最高峰はやはり『ホワイト・ジャズ』(文春文庫)の、記号や短文を立て続けに叩きつける独特の切り回しということになるでしょうが、『1974 ジョーカー』でも、中盤以降から短文による言葉の連打があったり、自分さえが溶けていくような展開の中で唯一確からしい基盤として与えられる各節冒頭の日付と時刻の情報があったりと、文体の面でもエルロイを思わされる部分が多いのです。

     ですが、二作目である『1977 リッパ―』を読んだ時に、その印象は大きく変わります。「エルロイの息子の本を読んでいる」という感覚が、「ピースという作家の本を読んでいる」に変わったのです。各節冒頭のラジオの会話の挿入の仕方もそうですが、終盤で「執拗」とも言える独特の文体をいよいよ確立し、「破滅」を描くラストに関しては、もはやこれを誰も越えられないのではないかというほどの凄みに達しています。語り手のみならず、こちらの足元さえ揺らがすような文体の凄み。不吉で心をかき乱すイメージのカットバックをリズムよく繰り出すことにより生じる魅惑的で真っ黒な幻視。初読時に、ほうっ、とため息が漏れたのを覚えています。

     だから私は〈ヨークシャー四部作〉、とりわけ『1977 リッパ―』が好きなのですが……今回、〈東京三部作〉では、それすら凌駕したと感じています。

    〇〈東京三部作〉が描いた地平

     冒頭で述べた通り、〈東京三部作〉では日本の実在事件を取り上げています。ここでキーワードとして取り上げたいのが、芥川龍之介を始めとした日本文学の存在です。『TOKYO YEAR ZERO』の冒頭では『或阿呆の一生』がエピグラフに用いられ、『占領都市』の「参考資料」においては“「羅生門」と「藪の中」からヒントを得た”(p.375)と明言されています。さらに、〈東京三部作〉の合間に刊行された『Xと云う患者 龍之介幻想』(文藝春秋、2018年)は芥川文学をコラージュ・マッシュアップした連作短編集になっています。

     ピースが確立したノワールの文体・構想に、こうした要素が注入された結果、何が起こったか。一言で言えば、それは〈語りの複層化〉という現象だったのではないかと思います。

     それはもちろん、ピースが「あの時代」の日本の姿を捕らえるために摂取した日本文学、海外文学、映画などのイメージが幾層にも折り重なっている……という意味でもあります。今ここでより強調したいのは、「文体」の部分なのです。

     一作目『TOKYO YEAR ZERO』では、冒頭で終戦の日の情景が描かれ、その一年後にGHQ占領下の日本で凶行を繰り返す「小平事件」の犯人を捕らえようと奮戦する警視庁の刑事たちの活躍が描かれます。ここで導入されたのが、太明朝体による文章の挿入、という趣向です。これがピース独特の「執拗」な文体と相まって、独特のリズムを生んでいるのです。ちょっと引用してみましょう。

     夜は昼だ。目を開いた。もう錠剤はない。昼は夜だ。雨の音が聞こえた。視線を逃れる。夜は昼だ。日が昇るのが見えた。もう錠剤はない。昼は夜だ。目を閉じた。死体。夜は昼だ。現場百回。もう錠剤はない。昼は夜だ。白い朝の光が黒い芝公園の木立の後ろから。丈の高い、高い草の中に。夜は昼だ。見えるのは黒い木立だけだ。もう錠剤はない。枯葉と雑草。昼は夜だ。再び姿を現す黒い葉。もう錠剤はない。夜は昼だ。わたしは向き直った。もう錠剤はない。昼は夜だ。現場を離れた。別の国の死者。夜は昼だ。黒門の下で。もう錠剤はない。昼は夜だ。犬はまだ待っていた。別の国。夜が昼になった。(同書、p.221)

     要所要所で繰り出されるこのリズムに、私はもう、参ってしまうのです。好きすぎて……(今、「阿津川の作品は読んでいたがピースの作品は読んでいなかった」という人は、そういうことかと腑に落ちたりしたでしょう。そうです。慣れないことをやっていたのです)。文藝春秋の編集者に伺ったところ、太明朝体の部分は、原文だとイタリックで表記しており、太明朝体で表現するというアイデアはその編集者の発明だということです。素晴らしい。

     この太明朝体の部分が、語り手「わたし」の心の奥底から湧き上がる心の声のようでもあり、真相を知る者から投げかけられる声のようでもあり、あるいは読者の現実世界へと闇が浸潤してきているように見える視覚効果もあったり……最初は慣れずに驚いてしまったのですが、読み進めるうち、これがクセになってたまらなくなりました。〈語りの複層化〉による第一の効用はこの文章上の特徴だったと思います。

     ちなみに一作目は、この文体以外に、精緻に作られたミステリー部分にも大きな魅力があります。小平事件の使い方が巧みで、史実の生かし方が良いというか、「あの事件の真相はこういうものだった!」的な見せ方じゃないんですよね。終盤のあるシーンが特に素晴らしく、あんなに禍々しく、映える使い方ってあるだろうかと惚れ惚れします。また、再読の楽しみはこの上ないものです。

     そして二作目『占領都市 TOKYO YEAR ZERO Ⅱ』は、帝銀事件について、十二の章で異なる語り手を用い、異なる文体で事件を記述するという趣向になっています。これは芥川龍之介「藪の中」を下敷きにして、「複雑性と不確実性」(同書p.381)を表現するためのもので、〈語りの複層化〉が目に見えて現れたことになります。刑事の視点、生き残りの視点、投獄された平沢貞通の視点(!?)などを次々繰り出すだけでも面白いのに、それを「〇本目の蝋燭」とナンバリングしていき、百物語にもなぞらえることで、禍々しい毒が暗黒として現出するさまを演出しているようで、ゾクゾクくるのです。

     また、この小説では二人称の語りも印象的に用いられています。『1983 ゴースト』でも「あんた」と地の文で使っているので、初めてではないのですが、『占領都市』は効果的なタイミングで使われている気がします。この二人称小説というものも好きで、初体験は法月綸太郎の『二の悲劇』か「しらみつぶしの時計」(いずれも祥伝社文庫)になるのではないかと思います。「しらみつぶし~」は、施設に運び込まれてゲームに参加させられている、という部分以外の設定は捨象し、論理パズルに徹していることもあり、「きみ」という呼称によって、まるで読者である私自身もこの知的ゲームに参戦しているような感覚がもたらされていました。あるいは、レイ・ブラッドベリの「夜」(『壜詰めの女房』(早川書房)収録)。読者の心のどこかにもあるかもしれない、子供時代の一情景を「きみ」という呼びかけと共に切り取り、幻想と現実のあわいが揺らぐその一瞬を鮮やかに切り取る幻想小説の逸品です。ここでは「きみ」という言葉は読者のノスタルジーを喚起する働きをしているのではないかと思います。特に翻訳においては、作品の“you”の効果に最も近い言葉を選び取るのが肝心なのでしょう。

     では、ピースはどうか。〈東京三部作〉の翻訳に使われたのは「おまえ」です。誰かを名指しで示すような語感が感じられます。ほかならぬおまえ、というような。この語感は文藝春秋の他の翻訳書でも効果的に使われていて、『イヴリン嬢は七回殺される』の帯文でも、「おまえが真犯人を見つけるまで、彼女は何度も殺される。」と書かれています。これもまた、登場人物の一人に対して、「ほかならぬおまえ」と呼びかけるニュアンスがあると同時に(既読者はさらにニヤッとしますよね)、読者もまたこの推理に参戦させられる感じがします。この「ほかならぬおまえ」のニュアンスは、『占領都市』の最後の章、とある人物が語りを始めるにあたって、最大限の効力を発揮しています。

     ちなみに、帝銀事件がモチーフ、異なる語り手による複層的語り、という共通点から、恩田陸『ユージニア』を思い出させるのが、私の偏愛ポイントでもあります。『ユージニア』については、第12回の読書日記で『灰の劇場』を取り上げた時に言及させていただきましたが、「不安」を描かせたら右に出る者はないというか……。しかし、その『ユージニア』にも負けないくらい、『占領都市』も凄い本なのです。

    〇新刊『TOKYO REDUX 下山迷宮』について

     では最後、『TOKYO REDUX 下山迷宮』はどうなのか。下山事件とは、1949年当時、国鉄総裁だった下山定則が朝の三越百貨店で失踪、深夜に線路上の轢断死体となって発見されたという事件です。国鉄職員十万人以上の首を切ろうとした矢先の犯行であり、他殺が疑われますが、自殺か他殺かで捜査機関の意見は真っ二つ。捜査機関は「自殺」の結論を下し、のちに内部資料を「下山白書」として雑誌「改造」と「文藝春秋」に流出させ、事件は表向きには収束します。しかし、この事件について、のちに多くのノンフィクションが「下山総裁謀殺論」をしたためていくことになります。私もこの事件について最初に詳しく知ったのは松本清張『日本の黒い霧』(文春文庫)を通じてでした(後述)。

     とはいえ、事件の経過や結論については知らなくても、『TOKYO REDUX』を楽しむことは出来ます。むしろ、GHQ捜査官の視点から事件の発生前夜からその顛末を追いかけていくというのが筋なので、ピースの語りに身を任せて事件について知り、後からノンフィクション本などに手を出してみるというスタイルが良いかもしれません。

     下山事件を描く警察小説の逸品であり、三部作の掉尾を飾るにふさわしい大部であり、律儀なまでに作りこまれた謎解き小説でもありますが、私はこの作品の魅力を一言で、「〈語りの複層化〉を物語のダイナミズムの中で達成した圧巻の傑作」と言ってみたいと思います。

     太明朝体によるレイヤー(階層)の違う語りの挿入、語り手の変更による事件解釈の多層化。そうした今までの手法に加え、今回は、プロットの中で様々な文体・語りが巧みに挿入され、「下山事件が起きたあの夏」が複層化していくのです。未読の方の興を削がないよう、明言は避けますが、この小説は部の切り替わりごとに新鮮な驚きがある小説なのです。その驚きの中で、小説の原稿、証言、あるいは「おまえ」という二人称を使った語りなどが、物語のダイナミズムの中に続々投入されていくのです。

     また会話文を意味するカギカッコ(「 」)の排除も、今回の特徴と言えるでしょう。私の担当編集者に、「ミステリーにおいて読者の読みの基盤になるのは、三人称の地の文だと思います。会話文など、他の部分には嘘が含まれているかもしれませんから。地の文が多いミステリーの方が、安心して読むことが出来ると思うんです」と指摘してきた方がいます。この言を借りるなら、本書では、「信頼できる(はずの)地の文」と「信頼できない(はずの)会話文」を視覚的に区別するためのシグナルが一切存在しないことになります。もちろん、ゆっくり読んでいけば、どこが発話内容で、どこが語り手の心情なのかは分かるので、混乱することはないのですが、ふとした拍子に、この徹底したカギカッコの排除が不思議な酩酊感を生み出してくれるのです。この「溶け合う」という感覚が最も重要で、〈東京三部作〉で多用される太明朝体や、『占領都市』における章などの明確な区分けなしに、物語の起伏の中で多くの文体を経由していくのです。

     加えて今回、エピグラフの使い方の巧みさには触れざるを得ません。初読時には、おお、と流す程度で大丈夫です。読み終えた後帰ってくれば、不思議な感慨に包まれるでしょう。

     複層化し、互いに響き合っていく「語り」のダイナミズム……この楽しさと言ったらありません。現実と虚構の境目はどんどん曖昧になっていき、語り手の精神が揺らぐのと同調するように、読者である私の不安も増幅していきました(私は「不安」を感じる小説が大好物なので、これは超褒め言葉です)。

     特に今回はこの「おまえ」の使い方が絶妙です。ある箇所で唐突に「おまえ」の語りが始まった時、一瞬立ち止まって、どうして急にこの語りが挿入されたのか考えたのですが、そこで意味に気付いた時にハタと膝を打ちました。「ほかならぬおまえ」という名指しのニュアンスが、これ以上ないほど生きているのです。ちなみに、ここで指摘した「意味」については、黒原敏行による「訳者あとがき」において、ピース本人の意図もちゃんと書かれているので、読んだ後に確認してみてください。

     そもそも第一部において、「GHQによる下山事件の捜査」が描かれることからして、今までにない新鮮な書き方です。敬愛する松本清張の影響で、私も昔からこの下山事件には関心があったのですが、どうしても日本人の眼から見た事件の再構成になってしまうので、GHQ捜査官の視点というのが、それだけで嬉しく感じたのだと思います。

    『TOKYO REDUX 下山迷宮』は、下山事件について書かれた犯罪小説の新たなるマスターピースであり、まさにこの夏に読むべき逸品です。

    〇蛇足ながらの副読本

     ところで、下山事件についてよく知らない、という方のために、おすすめの副読本を挙げておこうと思います。

     まずは先述した松本清張『日本の黒い霧』(文春文庫)。上巻冒頭にある「下山国鉄総裁謀殺論」が、下山事件についての文章です。松本清張の凄みは、下山事件に関する事実の整理、疑問点の洗い出し、謀殺論の構築を、わずか100ページでやってのけてしまったことにあります。下山事件に関する基礎知識を頭に入れておくのに、これ以上格好のテキストはないでしょう。アプローチや深度が異なっており、それぞれに美点があるのですが、後続の「下山謀殺論」のどれもが、松本清張が築いたレールの上に載っているようにも感じます。松本清張には、ピースが『占領都市』で描いた帝銀事件を扱った傑作『小説帝銀事件』ですとか、1965年に起きた実際の事件、アムステルダム運河殺人事件の真相に小説の形で迫る本格推理『アムステルダム運河殺人事件』などの作品もあります。

     閑話休題。他には柴田哲孝『下山事件 最後の証言』(祥伝社文庫)。「自分の祖父が下山事件の実行犯かもしれない」との疑いから始まった柴田の調査行を描く圧巻のノンフィクションで、2006年の日本推理作家協会賞と日本冒険小説協会大賞の評論・実録部門賞をW受賞しています。「下山事件」の真相を探ろうとするジャーナリストとしての心と、祖父の真実を知ったら家族が悲しむかもしれないという一人の人間としての葛藤が鮮やかに描かれていて、手に汗握るドキュメントになっています。ある出来事の繋がり方なども面白いんですよね。ちなみに柴田はこのノンフィクションで描いたことを、フィクションの形でまとめ、ノンフィクションでは埋めきれない空白を鮮やかに埋めた『下山事件 暗殺者たちの夏』(祥伝社文庫)も発表していて、これも実に読ませます。

     他にもいろいろありますが、長くなる一方なので、このくらいで。

    〇ノワールの時代

     ここで持ってきたのは、デイヴィッド・ピースの『1974 ジョーカー』が邦訳刊行された時の「ハヤカワミステリマガジン」2001年8月臨時増刊号のサブタイトルです。当時エルロイからの影響を公言し、『不夜城』三部作で日本ノワールの最先端をひた走っていた馳星周(完全に私は後追いで想像しているだけですが)とピースの対談、ノワール必読書やフィルム・ノワールのリスト、ジェイムズ・M・ケインやチャールズ・ウィルフォードについてのエッセイ、デニス・レへインとジョージ・P・ペレケーノスの対談、当時〈リーバス警部〉が立て続けに刊行されていたイアン・ランキンの短編……当時のノワールを語るのに、この一冊は欠かせない、という雑誌なのです。ともにサングラスをかけてキメッキメの馳とピースの写真だけでも、たまらない。

     この一年、やたらとノワールの傑作に行き会った、というのが私の実感です。佐藤究『テスカトリポカ』(読書日記第11回)ピエール・ルメートル『僕が死んだあの森』、紫金陳『悪童たち』(読書日記第20回)、ジョゼフ・ノックス『スリープウォーカー』(読書日記第21回、解説)、デイヴィッド・ピース『TOKYO REDUX 下山迷宮』。古典の年代ですが、諏訪部浩一『ノワール文学講義』で取り上げられたジェイムズ・M・ケインの『ミルドレッド・ピアース 未必の故意』も訳されました。また、『ノワール文学講義』内ではその作品そのものは取り上げられていないものの、『サンクチュアリ』や『エルサレムよ、我もし汝を忘れなば』に初期ノワールの雰囲気があると論じられていたウィリアム・フォークナーについて、その諏訪部の訳で『土にまみれた旗』(河出書房新社)が刊行されたのも今年のこと……。去年に戻れば、扶桑社文庫から『コックファイター』や『ナイトメア・アリー』といった最高のノワールが出て嬉しかった……。そもそもの話、①鬱屈・屈折から脱出しようとする主人公が陥る破局、②人生を破滅に導くファム・ファタール(それも複数)、③独特の絵作りと世界観で築き上げられた世界(=文体)という三要件を完璧に具えている以上、藤本タツキ『チェンソーマン』(集英社)は最高のノワール漫画ということが出来……(この人は、ツイッターでも言っている妄言をまた言っているよ)。

     ピースが出た時と同じように、また「ノワールの時代」と言い張ってもいいような気がしたので、あえてミステリマガジンを引っ張り出してきたのです。『ノワール文学講義』においては、アメリカにおける初期ノワールの勃興と大恐慌の発生が重ね合わせられています。社会に対する不安、不満が噴出するときに、ノワールという文学形式が力を得るのだと、私は思っています。今年刊行されたノワールの傑作・良作群を見ていると、「鬱屈・孤立」の書き方のレイヤーや、文体の使い方、先行作の咀嚼の仕方などが各国によってまるで違い、そうした発見の一つ一つに楽しめます。

     ノワール……ノワール、書きたいですよねえ……。ノワールを書きたいという気持ちが暴走したのが、さっきもちょっと触れた某小説のある一章なんですけど……まあ……もっと文章が上手くならないと無理だな……。

    (2021年9月)



第21回2021.08.27
世界水準の警察小説、新たなる傑作 ~時代と切り結ぶ仕事人、月村了衛~

  • 月村了衛、書影


    月村了衛
    『機龍警察 白骨街道』
    (早川書房)

  •  まずは本の話題から。八月末に、ジョゼフ・ノックス『スリープウォーカー マンチェスター市警エイダン・ウェイツ』(新潮文庫)が刊行され、私が解説を務めています。『堕落刑事』『笑う死体』に続く三作目ですが、ここからでも十分読めます。『堕落刑事』『笑う死体』でも既に、ハードボイルドのプロットやギャングの抗争といった展開、あるいはモジュラー型警察小説の面白さの中に、「謎解きミステリ」のセンスの良さが光っていたのがノックスですが、今回の『スリープウォーカー』は完璧に本格ミステリーなのです。なぜなら、「名探偵 みなを集めて さてと言い」を地でいったような解決編まであるのですから。ノワール、ハードボイルドのファンは間違いなく手に取るべき連作ですが、謎解きミステリのファンも決して読み逃してはなりませんよ。

     そう、この日記を最初から読んでくれている方はお気付きでしょう(一体何人いらっしゃるのでしょうか)。記念すべき第一回の読書日記で取り上げたのが、このノックスの『笑う死体』だったのです(なので、一作目、二作目の詳しい紹介については第一回をご覧ください。担当者の方がページをリニューアルしてくださったので、探している回まで飛びやすくなっているんですよ)。新潮社の編集さんに聞いたところ、第一回のことは知らなかったようなので、完全に偶然なのですが、でもノックスの解説を書けたのは光栄なことでした。

       *

     ノックスも世界水準の警察小説シリーズですが、今月、日本でも世界水準の警察小説シリーズ最新作が登場しました。月村了衛『機龍警察 白骨街道』(早川書房)がそれです。ファンの多いシリーズだけに、私がここで取り上げるのも緊張してしまうのですが、これは一読震えてしまったので、ぜひとも取り上げようと思った次第。

     新型機甲兵装「龍機兵」という、市街地を想定した近接格闘兵器が存在する世界が描かれる本シリーズでは、この「龍機兵」を擁する日本の警視庁特捜部と、そこに属する警察官の異端児たちの活躍が描かれます。この設定を展開しつつ、特捜部と他の部局との対立、謎の組織との対決を描いたのが第一作『機龍警察』でしたが、シリーズは第二作で、早くも世界に目を向けます。

     それが第二作『機龍警察 自爆条項』(以下、シリーズ名を共通タイトル「機龍警察」を除いた部分のみで表記)であり、日本に潜入したアイルランドのテロ集団の戦いが描かれます。「至近未来小説」と作者自身が称する本シリーズでは、時に作品の題材が現実の事象に肉薄し、例えばロシアン・マフィアが絡んでくる『暗黒市場』では、日本でのカジノ法案が議論され始めたタイミングでそうした話が取り上げられていましたし(刊行は2012年)、『未亡旅団』ではチェチェンから日本に潜入した、自爆テロすら辞さない女性によるテロ集団「黒い未亡人」との戦いを描きました(刊行2014年)。

     現実に限りなく肉薄するからこそ得られるスリルと興奮、そして心がざわつくような読中感は、もはや冒険小説の域を超え、ポリティカル・フィクションの面白さにも近接していきます。私などは、冷戦を肌感覚で知らないため、スパイ小説にしばらく苦手意識がありましたが(今ではル・カレはマイフェイバリットな作家の一人ですが)、当時読まれたスパイ小説はこうした「現実に近い絵空事」の感覚で楽しまれていたのだろうと想像しています。

     内藤陳の『読まずに死ねるか!』に収録された開高健との対談「内藤陳vs.開高健」に、こんな一節があります(こういう時に内藤陳を持ってくるって、お前は一体いくつなんだよ、というツッコミはさておき)。

    開高 しかし、西側の作家にとってみても、スパイ小説は難しくなってるのよ。第二次大戦以後はね。東ヨーロッパ圏が広がったでしょう。(……)何を食って、どんなものの言い方をして、どんな慣用語句があってと、これを全部いちおう押さえていかなきゃいけない。ものすごい勤勉なやつでないと、これはとてもつとまらないわけです。
    内藤 しっかりしたものを書くには、ですね。
    開高 そうです。スパイ小説というのは、新聞――「タイムズ」でも何でもいいけど、その新聞の欄外余白に書かれたニューズ、解説なんだな。だから母体である新聞そのものの成熟度とスパイ小説の成長は密接な関係があるんで、スパイ小説のいい、悪いでその国の新聞の程度がわかるといっても過言ではないんです。”(p.49)

     この文章全体には、どこか古めかしいところというか、時代を感じさせるところがありますし、月村一人が上手く書けているから日本の新聞は優れているということにもならないのですが、この「新聞の欄外余白」という感覚にはどこか頷けるものがあります。現実のニュースとどこまでも近い距離感にありながら、しかし、現実からは少し外れたもの。絵空事であると頭では理解しながらも、少しのバランスで現実に雪崩れていきそうなもの。そんなスリルを味わうことが、スパイ小説を読む楽しみだったのでしょう。『007』まで行けば「大人のおとぎ話」になりますが、ここで言っているのはもっと現実との距離が近い作品です。

     私が〈機龍警察〉シリーズに感じていたのは、何よりもこのスリルでした。国際政治へのアンテナ感度が高く、それを作品に組み込める力のある作家だからこそ、滲み出てくるスリル。冒険小説としての構成の力、月村了衛の高い空間把握能力が生み出すキビキビとしたアクションの切れ味、そして魅力溢れ、過去にも暗い影を持った登場人物たち。そうした小説としての奥行きの中でも、読んでいる間に感じる「ゾクゾクとした」感覚は格別のものだったのです。

       *

     では、今作の『機龍警察 白骨街道』はどうか。これはもう、ゾクゾク、などという生易しいものではありません。もはや、戦慄といっても過言ではない。フィクションが現実と切り結ぶということの意義。「現代を照射する物語」と月村自らが語る構想が、最高の形で結実したことの凄み。そうした興奮を感じると同時に、途方もない奈落の果てに突き落とされたかのような、この読後感。帯に書かれた「日本はもう終わっているのか?」という惹句は、この読後感を見事に言い表しています。

     つまり、〈機龍警察〉はこれまでも高い水準を維持し続け、一作ごとに「最高傑作」を更新してきたにもかからわず、今回で更なる高みに到達してしまったのです。それはミャンマーを題材にとったからでしょうか。あまりにも現実と接近し、絵空事としては読めないほどのその迫力ゆえでしょうか。私は、もう一つ理由があると思います。

     それは、前作『機龍警察 狼眼殺手』から本作の刊行までの四年間、作者が「月村版 昭和―平成史」とも言える傑作群を次々発表したことと無縁ではないのではないでしょうか。『東京輪舞』『悪の五輪』『欺す衆生』『奈落に踊れ』の四作品が、これにあたります。

    『東京輪舞』(小学館文庫)は、ロッキード事件、東芝ココム事件、ソ連崩壊、地下鉄サリンなどの昭和史の裏側で展開されていた公安警察の戦いを年代記形式で描く骨太の傑作です。女スパイとの戦いがとにかく手に汗握りますし、前回の読書日記で個人的な思いを述べたオウム真理教の事件も取り上げられています。

    『悪の五輪』(講談社文庫)は昭和のオリンピック公式記録映画監督を巡る利権争いを描く、昭和史×映画ものの傑作です。映画好き(当時なので「カツドウ好き」と呼ばれます)の変人ヤクザ、人見の人間像が素晴らしい。オリンピックからいかに金を吸い上げるかを考える人間たちの群像と、ラストシーンの身を切るような切なさが、現代のオリンピックにも重なってくる。今思えば、なんて完璧なタイトルでしょう。

    『欺す衆生』(新潮社)は戦後最大の詐欺事件である「豊田商事事件」を材に取り、その詐欺事件を目撃した「個」の視点から時代を描くことで絶妙のクライム・ノヴェルに仕立てています。プロットの起伏が良くて、この長さでも一気読み出来てしまうんですよね。第10回山田風太郎賞に輝いています。

    『奈落に踊れ』(朝日新聞出版)は、1998年にノーパンすき焼きスキャンダル事件が発覚し、揺れる大蔵省を舞台にしています。東大出で飛び切り優秀にもかかわらず、出世街道から外れた変人・香良洲が、スキャンダルによって首を切られそうな四人の身勝手な頼みをあえて聞き入れ、大蔵省に切り込んでいくのが痛快です。どうしてもノーパンすき焼きという言葉に引っ張られてしまいますが、それは話のきっかけに過ぎず、中身はクールなピカレスクロマン、経済小説になっています。ラストシーンがしびれるのです。

     これらの傑作群はいずれも、近過去の事件を虚実取り交ぜて描き切ることによって、それが現在の腐敗構造をも照射し、日本人への警鐘となるような書き方がされています。例えば、『奈落で踊れ』では、消費増税は恒久的な増税を意味するとの批判や、「十年、二十年後の未来において、日本全体を根こそぎさらおうとする大津波を幻視して」(同書、p.271)香良洲が立ち尽くすシーンがあります。刊行されたタイミングを考えると、震えてきます。この『奈落で踊れ』や『東京輪舞』を興奮しながら手に取り、読み進めていったときに、月村の小説はまだまだ進化するのかと興奮したのを覚えています。

     そして、この「月村版 昭和―平成史」の視点が、遂に「至近未来」を書く〈機龍警察〉と合流してしまったのが、今回の『白骨街道』なのです。

       *

     月村が今回題材にした日本の過去とは、インパール作戦。いわゆる援蒋ルートを遮断するために、ビルマ側からインパールに侵攻しようとした作戦のことです。史上最悪の作戦として名を残し、日本兵の死者は一説によると七万人以上、大半は戦死ではなく、病死や餓死だったと言います。狭い山道を埋め尽くした日本兵の白骨を、『白骨街道』と呼ぶわけです。

     本作で姿俊之含む三人の龍機兵パイロットが従事させられるのは、ミャンマーで確保された犯罪者の身元引き渡し。日本初の国産機甲兵装を開発していた会社から、軍事機密を盗んだ男を、「現地での引き渡し」を条件に特捜部へ引き渡す。明らかに、これは罠です。そういう気配を察しながらも、特捜部長・沖津は三名の搭乗要員をミャンマーに派遣する。この時、元傭兵である冷笑的な男、姿俊之が漏らすのが、「まったく、二十一世紀になってインパール作戦に従軍するハメになろうとはね」(p.36) という言葉なのです。本作は「インパール作戦」を描くことによって、現代の日本を照射し、さらにミャンマー情勢へも肉薄するという、現代小説として最高峰の構成を取っているのです。

     もう、シリーズ読者はお気付きでしょう。〈機龍警察〉にはこれまで、魅力満点に書かれたキャラクターのうち一人が主演を務めるような構成になってきました。第二巻『自爆条項』ではライザ・ラードナーの壮絶な過去をアイルランド系テロリストとの戦いを通じて描き出し、第三巻『暗黒市場』では、三人の搭乗要員のうち元から警官だったユーリ・オズノフの過去が描かれます。『未亡旅団』はあの人、そして『狼眼殺手』では……これは読んでのお楽しみとして、私は常々、「もう一回姿俊之がメインに据えられる巻が来るだろう」と、シリーズ読者の友人と話をしていました。そして『白骨街道』では、登場して早々の皮肉めいたやり取りで姿俊之の魅力が満載。過去を掘り下げるというベクトルではありませんが、姿の目から過去の日本と現代の日本を重ね、照射するために、今回は彼が選ばれたのではないか、と思います。

     そして、この叩きつけるようなラストシーン。姿俊之だからこそ、そしてこの夏に読むからこそ映えるこのシーンは、一読忘れがたいものです。本書の発売記念メッセージとして、「庶民の怨念と文学の強度」という文章を月村了衛が著しており、私はプルーフに挟まれていたメッセージカードで読んだのですが、同内容の文章を早川書房のnoteから読むことが出来ます。「現代を照射する物語として構想した『機龍警察』が、ようやくその本質を実証できたように思う。この上は、白骨と化した怨念と文学の強度を堪能していただきたいと願うばかりである。」とのメッセージには力強さを感じます。過去を描き、至近未来に分け入ってきた月村了衛だからこそ、遂に辿り着いたこの高み。もちろん、この小説は現実の変容にこれからも耐え抜き、世界を見据えた日本警察小説×冒険小説の金字塔として残り続けるでしょう。ですが、この戦慄を、怨念を、熱さを、最も実感できるのは「今」です。月村了衛と同じ時代に生きていることの幸せを、一作ごとに噛み締めています。

     本書を読み終えてすぐ、ニュース番組を眺めていると、本書の舞台となっていたミャンマーの情勢が目に飛び込んできました。クーデターにより国軍が実権を掌握、国軍が酸素ボンベを一括管理し、医療を支配しており、酸素ボンベを手に出来ない民衆が二日以上も長い列をなしてボンベを求めているという映像で、『白骨街道』が描いた「現実」とは違うものの、薄皮一枚も隔たっていないところに私たちの現実があることに息を呑み、驚かされました。『白骨街道』をエンターテイメントとして消化することと、私たちの現実を見据えてものを考えることとは、矛盾しないと私は思います。月村了衛の小説を読むとは、月村了衛の眼を通じて、私たちの世界とその悪を見つめることと同じなのですから。

     月村了衛がこのシリーズで、次はどんな「悪」との闘争を見せてくれるのか。読者としてはワクワクすると同時に、緊張感をもって、国際政治のフィールドを見定めておかなければいけないような気がしています。

       *

     さて、かなりエモーショナルな方向で日記を締めくくろうとしていて、空を切っているような感覚がしてしまうので、もう少し作品の具体論に立ち返っておきましょう。

    〈機龍警察〉シリーズは『未亡旅団』以降、冒険小説としてのプロットの強靭さで読ませる方向にシフトしており、実はそれぞれ一作ごとにそこから読み始めることが可能になっています。本作『白骨街道』も、ここから読むことは十分に可能で、設定やキャラクターについては作劇の中で把握できるように書かれていっていますし、何より、ミャンマーを縦断する作戦の面白さで牽引されるので、あれよあれよと読めてしまうと思います。「地点Aから地点Bに辿り着くことがプロットのメインになる」という点は海外冒険小説の王道で、その終着駅が「白骨街道」というだけでも興奮してしまうのですが、何より、このシンプルで強靭なプロットから『土漠の花』(幻冬舎文庫)を思い出して嬉しくなってしまいます。

     最近は「いかに龍騎兵の見せ場を限定し、盛り上げるか」という作劇にもどんどん力が入っていて、特に今回のアクション小説としての趣向には興奮しました。これだけのアイディアと動きをこの短さで書けてしまうのは、本当に凄いことなのですよ。『槐』の杉江松恋解説には、当時のインタビューが引用されていて、月村はアクションを考える時、「地図やそれぞれの位置関係の覚え書きやタイムテーブルを作って、三次元的に把握しながら書いていきます」(同書、解説内p.399)と話していますが、作品を読めば、本当にその通りにやっているのだと一目瞭然です。今回は機龍兵の動きにある「縛り」が課せられるシーンがあるのですが、それがまた面白いんだよなあ……!

     また、海外出張に向かう姿たちと、日本に残り推理を巡らせる沖津たち、という役割分担を明確にしたおかげで、かなりプロットを追いやすくなっています。おまけに、沖津が推理する「この事件の裏に一体何があるのか?」というホワットダニットの内容は、限りなくポリティカル・フィクションでありながら、同時に、そう考えればすべてが結びついてしまうという謎解きミステリーの快感に満ちたものでもあります。おまけに、この謎解きが「月村版 昭和―平成史」ともある意味結びついてしまうのですから、舌を巻くほかありません。〈機龍警察〉はどんどん「情報戦」の書き方が上手くなって、そういう意味でスパイ小説をも思わせるのが魅力です。

     また今回、在ミャンマー大使館の愛染、ミャンマー警察や国軍の面々も、それぞれに思惑を抱え、しっかりとした行動原理で姿たちと渡り合ってくるので非常に読ませます。特に愛染、彼の語る過去パートがなかなか良いのです。それを聞く姿の醒めた反応も良い。こういう作戦に、まったく違った行動原理の人間が一人介入するだけで、冒険小説はグッと深みを増すのです。

     ああ、まだまだ到底、語り足りません。そもそも、今年月村了衛は『非弁護人』(徳間書店)という傑作を世に送り出しています。弁護士バッジを持たず、裏から法廷を操っていく元弁護士を主人公に、「ヤクザ喰い」と呼ばれるビザールな悪との戦いを描いていくピカレスク小説で、キビキビとした調査パートによって次第に敵の恐ろしさを点描し、ようやく姿が見えたかと思いきやツイストがあり……という、これまた年間ベスト級に面白い作品だったわけです。それさえアッサリ超えてくる『白骨街道』って……。いやいや、素晴らしい……。

     ともあれ、『機龍警察 白骨街道』。今すぐにでも読むべき、「今」、そして「未来」の小説として、大いにオススメいたします。

    (2021年8月)



第20回 特別編62021.08.13
七月刊行のミステリー多すぎ(遺言)~選べないから全部やっちゃえスペシャル~

  • エドワード・ケアリー、書影


    エドワード・ケアリー
    『飢渇の人
    エドワード・ケアリー短篇集』
    (東京創元社)

  •  この七月、私がデビューした新人発掘プロジェクト「カッパ・ツー」から、遂に第二弾の作品が登場。犬飼ねこそぎ『密室は御手の中』(光文社。以下、敬称略)がそれです。

     石持浅海・東川篤哉の両氏を選考委員とするこのプロジェクトは、最終選考で受賞作が決定した後、石持・東川・新人作家の三人で鼎談の機会を持ち、「どう直していくか」「プロとしてもう一段高めるには何をするか」をじっくりと議論し、形にするというスタイルを取っています。そのため、受賞から刊行までに間があり、読者から見ると「忘れた頃にやって来る」という形になっていると思います。ある意味、「最も面倒見が良い『本格ミステリー専門』新人賞」と言えるのではないでしょうか。

     今回の受賞作、犬飼ねこそぎ『密室は御手の中』は、新興宗教『こころの宇宙』で起きた密室殺人を名探偵が解き明かすという、いかにも古式ゆかしい本格ミステリーの結構を取っていますが、文章や構成力のおかげでスッと物語に入っていけるのがとても不思議。いい意味で、肩の力が抜けた書きぶりで、緻密なロジックにより二転三転する展開と、タイプの違う密室トリックの競演で読ませてくれます。特に「百年密室」の回答には、思わず膝を打ってしまいました。また、少年教祖と名探偵との関係性も面白く、なぜ謎を解くのか、なぜ論理をふりかざるのか、という部分をサッと入れることで後半のドラマを引き立てています(このサッと、というのがキモで、第一回カッパ・ツー受賞者のように暑苦しくなっていないのです)。今年の本格ミステリーの注目作です。ぜひ。

        *

     さて……そんな『密室は御手の中』を含む七月刊ミステリーですが、ここで一言。「多すぎる!」。あまりの充実ぶりにホクホクする気持ちと、これだけ畳みかけられるとさすがに息切れしてくる気持ち。おそらく、「このミステリーがすごい!」のランキング対象期間が一か月早まったせいではないかと思うのですが(昨年、奥付9月30日までの刊行作品とレギュレーションが変わりました)、大部の完結編なども出ており、「この夏はミステリーマニアを試しているのではないか?」と思ったほどです。

     いつもは楽しく読んだ多くの本の中から、断腸の思いで二冊を選び、この読書日記に載せていますが……もうだめです。さすがに選びきれません。そこで、開き直ることにしました。

     分かった、全部書いちゃおう。

     こんな思い切ったことはこれきりにしたいというのが本音です。ただ、このままどこにも書かないと、私の感情の行き場もなく……。なので、七月刊と、六月刊なのに私が読んだのは七月になってしまったという作品をまとめて紹介していこうと思います。紹介で気になるのがあったら手に取ってください、というノリでいきます。今回の書影の掲載は偏愛度で『飢渇の人』に譲りましたが、正直、ここで取り上げたものは全部面白いと思っています。

     また、頑張って読みましたが、正直、刊行ペースに全く追いついていません。読者の皆様は「あれがない」「これがない」と言いたくなるかもしれませんが、このままではこの原稿が無限に長くなるので、「七月三十一日までに読んだ本」でバサッと切ってしまうことにしました。正確には竹本健治『闇に用いる力学』は八月一日の午前一時に読み切っていますが、まあ私が寝るまでが三十一日だったということです。

     ちなみに、第18回の冒頭で取り上げ、解説も書いたラグナル・ヨナソン『閉じ込められた女』と、第19回の冒頭で紹介した若林踏編『新世代ミステリ作家探訪』も、本来ならこのラインナップに並べられるべき作品。この二作も素晴らしい作品ですので、あわせてご覧ください。

     では、いきます。

     マイケル・ロボサム『天使と嘘』(ハヤカワ・ミステリ文庫)は、臨床心理士サイラスと、嘘を見抜く体質の少女「イーヴィ」のコンビを描いたミステリーです。この二人の出会い、少しずつ距離を縮めていく過程、一緒に事件を解くまでの流れがとにかく面白い。冒頭、自分たちの悲惨な生い立ちを語る少年少女の中で、一人だけ映画のあらすじを語るイーヴィと、聞いていた中でたった一人気付いて笑ってしまうサイラス、なんていう序盤のシーンだけで、たまらなく顔が綻んでしまうのです。また、シリーズ一作目である本作では殺人事件に割かれる比重が少なめですが、こちらも、あるワンポイントに着目したキレのあるフーダニットになっています。解かれ方が論理パズルみたいで、そのくせ事件関係者の背景がちゃんと立ち上がるので、なんだか不思議なんですよね。イーヴィの過去にはかなり凄惨な事件があったことがほのめかされており、このシリーズは次作でそこをもっと掘り下げるよう。三部作になるとの予定で、これからますます面白くなること請け合いです。

     小池真理子『神よ憐れみたまえ』(新潮社)は、小池ミステリ史上最大にして、最高の犯罪小説。昭和38年11月に両親を惨殺された十二歳の少女の人生を辿るという筋で、序盤は彼女や彼女を取り巻く人々、そして両親を殺した「彼」のパートで進んでいくのですが、この「彼」がその昭和38年11月の日に国鉄の事故に巻き込まれているという設定がまた良い。ボタンの掛け違い。または歯車のひずみ。何か大いなるものに運ばれていくように、しかし、一歩一歩歩んでいく「犯罪後」の彼女の来し方に思いを馳せながら読んでいくと……ある箇所で不意に驚きが訪れます。それはミステリー的な驚きではありません。「この先を、書いてくれるんだ」という嬉しさと困惑、そしてそのページを開いた瞬間に始まる、喪失と別離の物語。このラストによって、漆黒に塗りたくられたこの圧巻の大部は、読者の心を熱くさせる見事な小説となるのです。残酷で、やるせなくて、それなのに生きる力をもらえるような小説です。最後は涙が止まらなかった。昭和38年に十二歳なので、小池真理子自身の生年とほぼ同じなんですよね。素晴らしかった。

     C・J・ボックス『越境者』(創元推理文庫)は、猟区管理官〈ジョー・ピケット〉シリーズの最新作。講談社文庫で長らく訳されてきましたが、昨年、『発火点』によって創元推理文庫に翻訳刊行を移籍。その『発火点』はリアルな山火事描写によるサスペンスを描いた作品でしたが、今度の『越境者』は舞台に雪が降っているのもあり、ある意味好対照をなしています。ジョー・ピケットの盟友である鷹匠のネイト・ロマノウスキが登場するのが、シリーズ読者にとっては嬉しい作品ですし、ジョーが追跡する暗殺組織の裏にネイトの陰が見え隠れするという、「ジョーvs.ネイト」を押し出した構成にも興奮間違いなし。このシリーズは前作のネタバレ等は一切ないので、どこから入っても楽しめます。ネイトのことを知りたければ、彼が主演を務める最高の作品『鷹の王』(講談社文庫)が現役で手に入るうちに買い、読みましょう。主人公の克己の物語に焦点が当たること、冒険小説としての奥行き、一年に一回刊行のペースをボックスが守っていることなど、この読書日記で第14回に取り上げたディック・フランシスの特徴を思い出すのが彼です。一作ごとの充実度と完成度では、フランシスをも凌駕するかも。

     アルネ・ダール『狩られる者たち』(小学館文庫)は、2021年のミステリ・ランキングで健闘した犯罪小説『時計仕掛けの歪んだ罠』の続編。『時計仕掛けの歪んだ罠』は、ありふれた猟奇サスペンスのように始まった作品が、四部構成のうち、第二部に入った瞬間、「こんな展開今まで見たことない」というようなスリリングな切り返しを見せ、そこから謎解きサスペンスとして突っ走っていく構成に妙がありました。しかし、同じ手は二度通用しません。さあ、今回はどうするのかと思いきや……あっさりと、ハードルを飛び越えて見せたのです。今回も四部構成なのですが、一部で既に驚愕。「こんな展開にして、一体何をどうするつもりなんだ!?」と驚いたのも束の間、ダールに鼻面を引き回され、一寸先も読めないスリラーに魅了されることになります。特に感心したのは、場を引っ掻き回すだけ引っ掻き回した後、二部に一度「これからやるべきこと」を整理して次の展開へ動いていくという、キビキビとした捜査小説としての基礎部分です。これが固まっているからこそ、どんな展開に持っていこうとついていけるんですね。とはいえ、前作『時計仕掛けの歪んだ罠』から続くストーリーについては、いったん綺麗に収束させてほしいところ。少年漫画かよというぐらい引っ張ります。引っ張るなら、せめて解決するまでは邦訳が続いてほしいです。

     エドワード・ケアリー『飢渇の人 エドワード・ケアリー短篇集』(東京創元社)は、ダークでグロテスク、そして奇妙なファンタジーを得意とする作家、ケアリーの日本オリジナル短篇集です。本文だけでなく、作中に出てくる不気味だがユーモラスなイラストもケアリーお手製、さらには作中に登場する町の模型を作り写真を掲載してしまう(『アルヴァとイルヴァ』、文藝春秋)など、クリエイティブ精神においては国内外眺め渡しても比ぶ者なき逸材ですが、大長編が多く、敬遠していた向きもあるかもしれません。本作『飢渇の人』は、これまでの長編でも発揮された、ケアリーのエピソード作りのうまさと切れ味、「物」に対するフェティシズム、細かな描写から世界を立ち上げる力がいかんなく発揮された作品で、たとえて言うなら早川書房の『異色作家短篇集』に入っていてもおかしくない作品集です。それも、訳者の古屋美登里がケアリーに、初めての短編集を編みたいと伝え、この短編集のための作品が六編も書き下ろされているというのですから、これほど贅沢な話もありません。私のお気に入りは、色んなものを仮託しながら読むと不思議な笑いが込み上げてくる「バートン夫人」、短篇集のこういう遊びが好きすぎる「アーネスト・アルバート・ラザフォード・ドッド」「鳥の館 アーネスト・アルバート・ラザフォード・ドッド著」(前者でアーネストの人生を短編で書き、後者でその人が書いた短編をそのまま載せる、という趣向です)、短編にして群像劇でもあり、長編『望楼館追想』さえ思わせる「私の仕事の邪魔をする隣人たちへ」、長編『おちび』と同じくフランス革命の時代を題に取ったスピンオフとも言える短編「飢渇の人」です。『おちび』と「飢渇の人」は、どちらを先に読んでも楽しめます。ケアリー愛好者にとって最高の贈り物であり、入門にもうってつけの作品集です。

     紫金陳『悪童たち』(ハヤカワ・ミステリ文庫)は、早川書房や文藝春秋から今一つの潮流としてプッシュされている「華文ミステリー」紹介が、新たなステージに入ったと感じさせられる傑作です。妻の実家の財産を狙う男が、義父母を事故に見せかけて殺害。これが冒頭で描かれるのですが、このシーンを少年少女三人が偶然撮影していたカメラで収めてしまいます。警察に届けるべきところですが、三人のうち二人は孤児院から逃げてきたので警察に見つかるのはまずい。彼らは自分たちの将来のため、犯罪者を脅迫して大金をせしめようとする……といった筋の犯罪小説なのですが、偶然噛み合ってしまった歯車があれよあれよと計画を狂わせていく、その過程が面白い。特に感心したのは、下巻、ある展開によって物語の底が抜けた瞬間です。それまで、「最悪」に向けて突き進んでいく犯罪小説のプロットを楽しみながらも、感じていた違和感。それが解消されると同時に、「この物語はなんだったのか」が鮮やかに明かされる。面白い犯罪小説を読みたい人も満足できる作品ですが、この驚きは、必ずや謎解きミステリーのファンも満足させることでしょう。あまり日本に引き寄せて語りたくはないですが、訳者あとがきには、東野圭吾の『容疑者Xの献身』を読んで「社会派」ミステリーを志したと書いており、まさしく、東野ミステリーの犯罪小説的側面、『白夜行』などをはじめとした東野ノワールのプロットなどを咀嚼し、昇華させた作品だと考えています(これはネタバレスレスレなので挙げられませんが、本格ミステリーとしても評価が高い東野のある作品をも取り込んでいます)。あえて「華文ノワール」と称したい傑作で、これまでに邦訳刊行された華文ミステリーの中で一番好きです(これまでは水天一色『蝶の夢 乱神館記』(文藝春秋)が一番好きと公言してきました)。ところで、最新のハヤカワ・ミステリマガジンには紫金陳のインタビューが掲載されているのですが、伊坂幸太郎と東野圭吾が好きと語ったうえで、東野圭吾で一番好きと言った作品が……私も大好きだけど、それかい! なんだか気になります、紫金陳。

     ライリー・セイガー『すべてのドアを鎖せ』(集英社文庫)は、献辞をアイラ・レヴィンに捧げていることからも分かる通り、マンハッタンのアパートメントで起こる怪事件に巻き込まれる『ローズマリーの赤ちゃん』にオマージュを捧げつつ、それを見事に現代式にアップデートしてみせたホラー・サスペンス。高級アパートメントの空き部屋に番として住むだけで、大金がもらえるという求人広告。見るからに怪しい広告ですが、失業中で、とにかく金に困っているジュールズは飛びつく(この「貧困」の書き方が、実に現代的で……ある意味日本の状況にも重なります)。女優や憧れの作家、医師。セレブたちが暮らす高級アパートメントの雰囲気に酔いしれるジュールズ。しかし、不穏の陰は少しずつ忍び寄っていく。「敵がいるのは分かっているのに、その正体が見えない」序盤はかなりヤキモキさせられるのですが、マンハッタンの街の描写なども良く、それらを楽しんでいたところ、ある物証が発見された瞬間、恐怖が加速。そこからはノンストップで読んでしまいました。特に、どんでん返しの連鎖の中のある部分の処理があまりに上手いことに、唸ってしまいました。ここからどう持っていくんだろうと思っていたら、するっと方向転換するんですよね。で、伏線も張ってある。感心しきりでした。アイラ・レヴィン好きはニヤニヤしながら読むと思いますが、そんな人も驚くでしょう。リーダビリティーも高く、この次の作品も面白そうなので紹介が待たれるところです。

     マイクル・コナリー『鬼火』(講談社文庫)は、〈ハリー・ボッシュ〉シリーズの最新作。ボッシュものであると同時に、『レイトショー』『素晴らしき世界』と続いてきた深夜勤務の女性刑事・バラードの三作目でもある……のですが、実は私はあまり褒められたコナリー読者ではなく、『エコー・パーク』あたりまでをなるべく順番に追い、あとは『転落の街』など評判を聞いたものを拾い読みして、ここ数年はサボってしまっていました。ではなぜ、今回手に取ったかというと、やはりコナリーには「Night」の印象があって、原題“The Night Fire”を見て興味を惹かれ、訳者あとがきにも「終盤の怒涛の展開は近年屈指」(『鬼火』下巻「訳者あとがき」、p.343)とあったため。第一作の原題は“The Black Echo”なのですが、邦題は『ナイトホークス』(扶桑社文庫)なんですよね(ちなみにBlackも多い)。『暗く聖なる夜』とかの印象が強いのでしょうか。で、読んでみたところ……いや、凄い、ウルトラ傑作でしたね……。ボッシュの恩師である刑事が亡くなり、その葬儀の日に託された麻薬がらみの殺人事件の調書。バラードが遭遇するホームレス放火殺人。判事暗殺事件の裁判。この三つの事件が絡み合うのですが、一個一個の演出が本当に上手い。そもそも、ボッシュの異母弟のハラー(リンカーン弁護士のことです)が判事暗殺事件の裁判で見せる法廷戦術からして面白いのに、それを上巻であっさり使い切るし……。「繋がるぞ。絶対にこの事件は繋がるぞ」と身構えて読んでも、読者が夢中になって読んでしまいガードを下げるタイミングを心得ているし……。本当に衰え知らずですね、コナリーは。また、今回の事件の構図は、核は一言で説明出来るというくらいシンプルなのが良い。それをここまで演出してみせるんだから凄いですね。堪能しきったので、バラードものに追いつこうと『レイトショー』『素晴らしき世界』を即座に買いました。また、訳者あとがきによると、次のコナリーはジャック・マカヴォイ・シリーズである『ザ・ポエット』『スケアクロウ』の続編になるよう。この二作が結構好きなので、次も発売日に買います。

     西澤保彦『スリーピング事故物件』(コスミック出版)は、このところ西澤作品を復刊刊行していた同出版社から遂に刊行された書き下ろし新作(『神のロジック 人間のマジック』が気軽に手に取れるようになったのは本当にうれしいことです。超大好きな一冊なんですよ)。いわくつきの事故物件にルームシェアして住む三人の女性。犯罪が起きた物件であるその家では、部屋の中にあるワープロ専用機を動かさないよう禁止事項が言い渡されているのですが、そのワープロに文字を打ち込んだところ、幽霊となった被害者と交信することに。21年前の殺人事件の真相とは? というのが筋。愛憎微妙な関係が入り乱れた三人の女性の、ブラックでどこかトボけた会話劇(これは作者の現代ミステリーの特徴ではありますが)に乗せられていると、背筋が凍り付くような異形のホワイダニットに背負い投げを食らわされます。サイケでポップな表紙に騙されていると、飛ぶぞ、といった代物です。

     エリー・グリフィス『見知らぬ人』(創元推理文庫)は語りの魅力満点のビブリオミステリー。イギリス・ミステリーからまたしても実力派の登場です。タルカーズ校は、かつてヴィクトリア朝時代の怪奇作家・ホランドの邸宅だった。そんな学校で教師が殺され、遺体の傍にはホランドの短編に登場する言葉が書かれたメモが。これは、ホランドの小説の再現なのか? というのがメインの謎ですが、それを日記にしたためる女性教師のクレア(今時、あえて「紙の日記」というのが良いですし、それを可能にするキャラ設定も面白い)の語りの魅力によって、ユーモアに満ちた、しかし少し底意地の悪い人間観察に溢れた作品になっています。この「少し底意地が悪い」というのは誉め言葉で、私はイギリス・ミステリーのそういう皮肉めかしたところが好きなんですよ。語り手を少しずつスライドしていって事件を複数の目で描いていく、堅実ながら魅力的な書きぶりや、終盤に向けたサスペンスの高まり、要所要所に挿入されるホランドの短編小説「見知らぬ人」の面白さなど(同じく創元推理文庫の『怪奇小説傑作選』の一巻に入っていてもおかしくない出来栄えです。大時代的な語り口が、いいんですよね。「猿の手」なんかを思い出します)、見所満載。この本、更に嬉しいのが、本編が終わって、解説の前に、アレがちゃんと収録されているところ。こういうプレゼントが、何より嬉しいですよね。ちなみに、学校が昔は違う建物で……という設定を生かした作品に、テレビドラマ「新米刑事モース ~オックスフォード事件簿~」の「顔のない少女」という回があって、百年前の事件が関わってくるところや、ゴシックな雰囲気などが共通しています。この「顔のない少女」は、百年前の未解決事件に拘泥するモースが、そこから現在の殺人事件まで解き明かしてしまうアクロバティック・パズラーで、それを思い出させる『見知らぬ人』の設定も嬉しくなってしまったわけです。

     古野まほろ『征服少女 AXIS girls』(光文社)は、同じく光文社より2019年に刊行された『終末少女 AXIA girls』の続編。アポカリプス的な世界観と夏の孤島という取り合わせ、そして怒涛の解決編と論理に圧倒される『終末少女』は、まさに夏に読むべき傑作ですが、『征服少女』はまたしても趣を変えて読者の脳を揺るがす本格ミステリーの雄編です。天国の勢力を上げた地球再征服作戦。彼女らは最大の戦艦にして新世界の方舟〈バシリカ〉に乗り込み、悪魔に支配された地球へと……という筋なのですが、この独特の世界観の中に配置された違和感と、少女たちを襲う惨劇の謎が、たった一つのフーダニットを始点に全て鮮やかに解き明かされてしまう、その手腕が見事。この快感は凄まじいものですし、戦艦という舞台設定から『天帝のみぎわなる鳳翔』を思い出す往年のファンもいることでしょう。滅びゆく世界を舞台に、「まだ分からないこと」がたくさんある状況を描き、夏の清冽なイメージも描き切った『終末少女』と対照的に、この世界観の全てがいよいよ説明・解明されていく『征服少女』。対照的な二作でありながら、本格ミステリーとしての構築性と驚愕は同じ高みにあると思います。特に、不可能興味の書き方が好きでした。この設定、この状況下で、絶対にこの犯行は不可能だ、とガチガチに詰めておいて、それを鮮やかに解いてしまう見事さ。これは先も述べた『鳳翔』の毒殺経路の特定の鮮やかさを思い出します。読み応えもあり、大満足の一冊。

     山沢晴雄『死の黙劇 〈山沢晴雄セレクション〉』(創元推理文庫)は、著者初の文庫化。私は高校生の頃、光文社文庫の『本格推理』から出ていた別冊シリーズ『本格推理マガジン』という企画を愛読していて、その中でもぶっ飛んだのが、『硝子の家』に収録された山沢晴雄の「離れた家」。こういうアリバイトリック系の中では最も複雑なのではないかと思えるほどなのですが(分刻みの行動表がついている麻耶雄嵩『木製の王子』(講談社文庫)よりも、体感では「離れた家」の方が複雑ってどういうこと)、実は解かれてみると、事件全体の構図はかなり見通しやすいと感じて、狐にでも化かされたような気持ちを味わったのです。それ以来、私は山沢作品の虜となり、日本評論社から出た『離れた家』をなんとか手に入れ、『本格推理マガジン 絢爛たる殺人』に掲載された山沢参加のリレー小説「むかで横丁」を読み……と過ごしてきたわけですが、今回『死の黙劇』が文庫になると聞いて驚愕。山沢の探偵役・砧が出演する五作に加えて、犯人当てなどの四作。私も未読が五作も読めるとあって大満足でした。たとえていうなら、偶然まで含めて複雑に絡んだ因果の糸を、彼はこういう意図で動いた、一方彼女はこう考えて動いた、など一つ一つの必然性の説明によって一本一本ほぐしていくのが山沢ミステリーの味で、鮎川哲也なら長編一本かけてくれそうなところをあえて四十ページで早回ししてみせる「京都発“あさしお7号”」なんかはまさにそうした読み味。だから短編の尺にもかかわらず、じっくり、腰を据えて読むことが求められる感じがします。とはいえ、私にとって山沢作品を読むことは、チェスタトンや天城一、あるいは平石貴樹の純正論理の世界に浸る楽しさに通ずるものがあって、自ずから読む時の心構えも変わってくるというわけなのです。初めて読む方には、落ち着ける環境で腰を据えて読むことをオススメします。創元推理文庫からは幻の長編『ダミー・プロット』も刊行予定とのことで超楽しみです。

     三津田信三『忌名の如き贄るもの』(講談社)は、〈刀城言耶〉シリーズの最新作。自分の名前とは別に与えられ、決して他人に教えてはならず、その名で呼ばれても振り返ってはならないという「忌名」。その儀式の最中に起きた殺人に刀城言耶が挑む、という筋なのですが、冒頭で語られる怪異のシーンがもう怖い。「生きながら埋められる」というのは私の中で「ホラーで一番怖いやつ」なのですが(あとは眠っている間に何かされるやつ。防御不能なのが怖い)、それに加えて、今回は儀式の最中に道を歩いている時に後ろから呼ばれるというシーンで、語り手も振り返らず、そこにあるものを直接見ないだけに、読者の側も恐怖が高まるという趣向。夏に読むのにうってつけです。そこから刀城のパートに移っていくわけですが……今回はもう、まさに一読驚愕。刀城言耶というのは、名探偵なのですが、作中でも「迷探偵」と言われるくらい推理が迷走するところがあって、何せ関係者を集めた時点ではまだ事件を解いておらず、警察側も「人を集めたら刀城へのプレッシャーになって何か思いつくかも」と人を集めてくるという次第なのです。その迷走ぶりが生み出す「一人多重解決」がこのシリーズのウリにもなっているわけですが、ここが今回はべらぼうに面白い。伏線の張り方と解釈の利用の仕方が上手いんですよね……それによって、今回の異形の動機が際立っている。思わずため息を漏らすような見事なホラー×本格ミステリーでした。途中の事件の手数の多さや充実度の点では、『山魔の如き嗤うもの』や『碆霊の如き祀るもの』(どちらも講談社文庫)に譲りますが、真相のインパクトはシリーズ屈指だと思います。面白かったー。

     ペーター・テリン『身内のよんどころない事情により』(新潮クレスト・ブックス)はベルギーの作家によるメタ・フィクション小説。あるパーティーを断るために「身内のよんどころない事情により……」という表現を使った作家は、「もし自分の伝記が書かれるとすれば、この表現をきっかけに色々邪推されるのだろうか」と考え出す。彼は新たな小説の構想を得、娘と一緒に幸福に暮らしていたが、その娘が病に倒れた。「身内のよんどころない事情」は本当になったのだ……というのが大体の筋。小説家のパートだけでなく、彼が書いた小説の登場人物「T」(「ぼく」)のパートも含めて、複雑な入れ子構造をなした小説で、一読ではすべてを見通しづらいのですが、読み返してみると、この複雑な構造がどうなっていたのかが少しずつ見えてきて、その興奮がまた面白さを搔き立てる、といった読み味。この小説は三部構成を取っているのですが、部の切り替わりごとに、「そっちに転がるのか」と思わされる展開が面白く、特に「この小説は一体なんだったのか」が、ジグソーパズルのピースが嵌まるように見えてくる第三部が素晴らしい。細かい部分には多くの謎が残る文学作品なのですが、この構成がミステリー好きにもアピールすると思い、あえて取り上げてみました。皮肉とユーモアに満ちた語りも魅力満点です。

     竹本健治『闇に用いる力学』(光文社)は、「赤気篇」「黄禍篇」「青嵐篇」の三部作で、四半世紀の時を経て遂に完結。ただし、書籍化されていたのは「赤気篇」のみで、「黄」「青」初の書籍化です。通常の「普及版」販売とは別に、定価三万円の「特装版」(!?)も同時発売で、力の入れようが分かるというもの。二十世紀末の東京を舞台に、人喰い豹の出現、超能力少年の蒸発、高齢者を狙い撃ちで広まっていく突然死ウイルス〈メルド〉など、世界が破滅に向かっているとしか思えないほどの大事件・怪事件が連なっていくというのが大まかな筋で、正気を失っていく人々の恐怖を群像劇として描き切った暗黒小説と言えます。際限なく広がっていく事件に感じる酩酊感は凄まじいものです。私は旧版の『闇に用いる力学 赤気篇』を手に取った時、竹本が1995年のオウム真理教事件について「あの事件の決着のかたちは現実にあってはならないものだという想い」があったと述べ、「あの事件によって歪められてしまった現実のかたちを、小説のなかであるべきかたちにもどしてやればいい」と書いていました。これが、私が『闇に用いる力学』という本を手に取った動機、だったのです。地下鉄サリン事件の時、私はまだ生後間もない頃で記憶はありませんが、両親と共に祖父母の家に帰省していて、たまたま一日早く帰ったからいいものの、予定通り帰っていたら、父親はあの地下鉄に乗って出勤していた、と両親から聞かされたことがあります。それ以来、オウム真理教、地下鉄サリンという言葉は、私の中で絶対に手の届かない淀みのようなものになっていて、だからこの竹本健治のあとがきの言葉が、深く胸に残ったのです。当時のあとがきでは詳らかにされなかった、竹本健治のあの事件に対する意見は、『黄禍篇』の中で表明され、『青嵐篇』で作品の形で完全に成就され、特装版の特別付録冊子の中で、インタビュワーの千街晶之が踏み込んで聞いています。あのあとがきの言葉が分かるとともに、『赤気篇』帯の「私たちは本当に世紀末を乗り越えたのか」という言葉になぜかヒヤッとするような。四半世紀をかけた大部は、例えばウイルスの描写などが今のコロナ情勢を思わせるなど、時間をかけただけに、現実と重なる箇所も多くなっています。現実の変容にさらされながら、遂に完結したこの大部は、私の中で『匣の中の失楽』や『フォア・フォーズの素数』、『狂い壁 狂い窓』と並ぶほど好きな竹本作品になりましたし、個人的な体験の意味でも特別な一冊(まあ、三冊ですが)になると思います。

     さて、今月は浅田次郎の『兵諫』(講談社)も刊行され、これは『蒼穹の昴』シリーズの最新作であり、西安事件を描いたという意味で蒋介石を描いた小説でもあります。そして、『闇に用いる力学』は、現実の変容にさらされながら、「この国の終わり」を描いた作品でもありました。そうした二冊と共時性を持つように、蒋介石を妨害するためのインパール作戦を描きながら、現実の変容と取っ組み合い、国の終焉を見据えた傑作が八月に刊行されます。

     それこそが、月村了衛『機龍警察 白骨街道』(早川書房)です。発売前の新刊を取り上げるのは気が引けるので、これは次回に詳しく書いていきましょう。

    (2021年8月)



第19回 特別編52021.07.23
ヴァランダーは、われわれと共に生きている ~警察小説の最高峰、最後の贈り物~

  • ヘニング・マンケル、書影


    ヘニング・マンケル
    『手/ヴァランダーの世界』
    (創元推理文庫)

  • 〇「作家本」の話

     作家についての特集本や、その作家についての資料。そうした「作家本」を読むのはやはり楽しい。もちろん、好きな作家の思わぬ一面を知らされ、ショックを受けることもあるが、それも一つの発見です。

     その話は第12回で恩田陸・山尾悠子(以下、敬称略)のムックを取り上げた時もしましたが、やはり一番興奮させられるのは、作家その人が関わるものです。インタビュー・対談も良いですし、自作解説や自選短編集などは作者のこだわりや好み、それを書いた時の手応えが窺えます。実作者の一人として目がランランとしてしまうのはやはり創作ノートですね。神奈川近代文学館の特別展で「巨星・松本清張」展が開かれた時は、『点と線』(新潮文庫)の創作ノートをいつまでも穴のあくほど見ていたので、同行者に引かれました。

     さて、今月、そんな「作家本」が発売になります。若林踏編『新世代ミステリ作家探訪』(光文社)がそれです。これは書評家・若林踏と10人のミステリ作家との対談集で、参加陣は、円居挽、青崎有吾、逸木裕、斜線堂有紀、呉勝浩、澤村伊智、矢樹純、方丈貴恵、太田紫織、そして私という顔ぶれ。光文社からは綾辻行人対談集の『シークレット』が昨年発売されていますが、一人も対談相手が被っていないのが面白いところです。『シークレット』は、ミステリ史上、そして各人の原体験として大きな存在である「綾辻行人」への各作家の反応、模索を追走することが出来る対談集でしたが、本作はまた読み味が異なります。書評家としての若林踏が、その作家を構成するものは何なのか、根源は何か、をスリリングに解き明かしていく対話の面白さなのです。私自身、他のインタビューや対談では出来なかった話が出来たという実感があります。各々の作家が、己の創作哲学や理想のミステリについて明かすところもあり、まさに「これから」のミステリの姿を想像するのに格好の一冊となっています。

     駆け足で特にグッと来たところを紹介すると、青崎有吾の青春ミステリの核心に触れた感のある青崎有吾回、ミステリで社会を描くことについて深い納得と共に力強い示唆を得ることが出来る逸木裕回、「この背中についていけば大丈夫だ」とさえ思わせる呉勝浩のミステリへの情熱に胸打たれ目頭を熱くする呉勝浩回、「特殊設定ミステリ」とはミステリの可能性を拡張する試みなのだと感じさせられる方丈貴恵回などなど……ちなみに、私は矢樹純回を読んですぐに、ヒッチコックの『映画術』を買ってしまいました。感化されやすい。

     ともあれ、これは実に良い一冊です。ところがこれが本題でないのが今回の恐ろしいところ。「作家本」という切り口で、更に脱線していきます。

        *

     去る6月はそんな作家本が二冊も出ました。一つがジョゼフ・グッドリッチ『エラリー・クイーン 創作の秘密』(国書刊行会)。エラリー・クイーンという作家は、従兄弟同士であるフレデリック・ダネイとマンフレッド・リーの二人のペンネームで、ダネイが詳細なプロットをしたため、リーが小説的な肉付けをして執筆する、という分業がなされていました。この本では、そのダネイとリーがやり取りした往復書簡が読めるのです。

     私たちミステリ作家は(私のような若輩者が「たち」と言い張るのはなんだかおこがましいですが)それぞれのやり方で創作ノートやメモを残し、あるいは残さずに直感で進めていきます。他の作家と交流してノートの類を見せ合うと、あまりのスタイルの違いに驚くことしばしです。しかも、完成までの間には編集者とのやり取りで詰めていく作業もあります。この時点で、二つの脳が議論に参加することになって、その過程を全て記録に留めることは難しくなっていきますし、互いにどんどん忘れていきます。何が何だか分からない。

     ところが、ここに「エラリー・クイーン」という「二人で一人」の作家が作品を作る過程で残した議論を、往復書簡という形で追跡できる本が現れたのです。これはもう、並みの創作ノートを見せられるよりもよほど凄いことです。波乱万丈の議論、舌鋒鋭い指摘と反論のラリー、そしてあの傑作群が生まれるに至った軌跡の全てを味わうことが出来るのですから。

     ここで取り上げられたのは『十日間の不思議』『九尾の猫』『悪の起源』の執筆時の往復書簡です。小説としての奥行きと、謎解きミステリとしての完成度を併せ持つこの三作が作られる過程は、ミステリの創作の指南になり得る本ですし、ミステリ読者も楽しめる本だと思います。確かに、ダネイとリーのやり取りは凄まじいものですが、それぞれの指摘は正当ですし、彼らはギリギリまでユーモアの感覚を忘れていないと思います。そこが読み物として良いのです。

     個人的には、名探偵という存在に対して、創作ノートによく「聖痕」という比喩を書いてしまいますし、打ち合わせでもよく「聖痕」と口にするので、「エラリー」という名の「聖痕」」(p.107)という表現に深く頷いてしまいました。ダネイとリーの苦悩が深く身に染みてくるところもたまりません。私はたぶん、それが作中の名探偵や私立探偵であろうが、作者その人であろうが、彼らの「苦悩」というものに目がないんだと思います。同じ作家本でいうと『別名S・S・ヴァンダイン』(国書刊行会)を読んだ時の凄絶な感覚を思い出しました。

     書簡集はやはり作家本としてはある意味究極のものですね。実のところ、創作ノートを書く時は、「いずれインタビューとかで見せる時が来るのだろうか、私が死んだときはどうなるのかな」という思いが一瞬頭をよぎるのですが、書簡は基本的に「相手以外に読まれるとは思わない」ですからね。より生々しいものが残るのです。それが合作作家のものとくれば、その史料価値は計り知れません。

     書簡集でいうと、ロス・マクドナルドの書簡集”Meanwhile There Are Letters: The Correspondance of Eudora Welty and Ross Macdonald”も原書を持っているのですが、いつか訳されてほしいところです。文通相手のユードラ・ウェルティーは『デルタの結婚式』が代表作のアメリカの作家です。拾い読みしか出来ていませんが、リュウ・アーチャーという「視点」に対するロス・マクドナルドの考え方などが窺えて興味深い本です。同じくらいの時期に出たポール・ネルソン”It’s All One Case: The Illustrated Ross Macdonald Archives”は私が社会人一年目の初任給で買ったもののうちの一つ。大判本で、たまに開いて幸福に浸るための、本棚の肥やしになってしまっています……いつか読み切りたい。

     さて、前置きが長く、既に一回分の分量がありますが、今回はどうしても取り上げたい――このタイミングで、絶対に取り上げなくてはいけない作家がいるのです。

     それが、ヘニング・マンケル。そして彼の輝かしい警察小説シリーズ、〈クルト・ヴァランダー〉シリーズなのです。

    〇新刊『手/ヴァランダーの世界』について

     この6月、『手/ヴァランダーの世界』(創元推理文庫)が刊行されました。これが〈クルト・ヴァランダー〉シリーズ十二作目、最終作にあたり、これにてシリーズの邦訳刊行も最後となります。

     本書には、オランダの書店のキャンペーンのために書かれた中編「手」と、マンケル自身が書いたシリーズ各巻についての辞典「ヴァランダーの世界」が収録されています。前者についてはこの後の全作レビューで語るとして、先に後者の話をしましょう。

     この「ヴァランダーの世界」には、ヴァランダー作品の各作品あらすじなどはもちろん、シリーズに登場した全登場人物の索引、地名索引などが掲載されています。日本の読者にとっては、馴染みのない文化を少し伝えてくれる「文化索引」も嬉しいところです。これはたとえて言うなら、「『アガサ・クリスティー百科事典』(ハヤカワ文庫-クリスティー文庫を、アガサ・クリスティー本人が書きました」というようなもので、その手間と労力を考えるだけでも恐れ入ってしまいます。しかも、読者の立場からまとめたのではなく、作者の立場から語り直すのですから、ポロッと裏設定らしきものが漏れてくるところまである。なんて贅沢な本なのでしょう。まさしく、シリーズのファンへの格好の贈り物です。私は「Ⅶ ヴァランダーの好きなもの」の章で、作中の色々なことを思い出してうるっときました。『目くらましの道』の杉江松恋解説では、それまでのシリーズ5作品に登場する刑事について、どの作品で初登場し、どんなエピソードがあるのかを9ページかけて詳細にまとめてありますが(黒川博行『海の稜線』の杉江解説も同じことをしています。なんと手間を惜しまぬ作業だろう)、「ヴァランダーの世界」でマンケルは全作品分をまとめてしまったわけです。しかも本人が。あまりのことに、笑うことしか出来ない……。

     マンケルはなんと素敵な贈り物を遺してくれたのでしょう(マンケルは2015年に逝去、本書の原著刊行は2013年)。これから折に触れ、「ヴァランダーの世界」に浸りたくなった時に手に取る本になりそうです。

     ですが、これはシリーズを追いかけてきた人への贈り物……であるのも確かです。まだ読んだことがない、あるいは途中でやめているという人のために、ここから、〈クルト・ヴァランダー〉シリーズの全作レビューを開始しましょう。

     初めにことわっておくと、私もヴァランダーを読んだのは最近のことです。時系列的にヴァランダーの最終作にあたる『苦悩する男』が翻訳刊行された2020年の8月、その直後に友人二人に熱烈に勧められたのです。そして『殺人者の顔』を手に取ったのが2020年の11月頭、年末のランキング投票を終えて肩の荷を下ろしたところでした。それから八か月間、一か月に一冊のペースで読もうと決めて……ある時点を境に、月一ペースでは満足できなくなりドンドン読んでいったのです。

     なので、各作品の記憶も鮮明ですし、時間としてはハマりたて。シリーズは2001年に『殺人者の顔』の邦訳が刊行されてから20年の期間にわたるわけですから、当時からのファンの熱には敵わないですが、この機会に自分なりにまとめてみようと思います。

    〇〈クルト・ヴァランダー〉シリーズ全作レビュー

    ① 『殺人者の顔』(原著1991年、邦訳2001年)

     地方の片隅で暮らす農家の老夫婦。夫は無残な傷を負って死亡し、重体だった妻も次いで息を引き取った。彼女は死ぬ直前「外国の」と言い残した。その言葉が、外国人移民への憎悪を誘発する……。

     ヴァランダー・シリーズの特徴の一つは、基本的にヴァランダーの三人称一視点で記述されることです。ヴァランダーはよく〈マルティン・ベック〉シリーズ(角川文庫)と並び称され、確かに北欧のミステリ作家であること、社会問題に深く関わる犯罪を取り上げること、刑事の私生活が濃密に描かれることなど数多くの共通点がありますが、この「視点」こそが大きな相違点ではないでしょうか。〈マルティン・ベック〉シリーズは三人称多視点によるチーム捜査で、多角的に事件を切り取り、彼らのきびきびとした捜査がときに失敗し(この「失敗」、いい意味での「無駄足」感をいかにプロットの中に残せるかが、警察小説の味に直結すると思うのです)、そして歯車がかみ合うように事件が解けていくかを演出する。一方で〈クルト・ヴァランダー〉シリーズでは三人称一視点を固定することで、ヴァランダー自身の懊悩を事件の捜査に直結させているのです(ただし、プロローグなどでは他の視点が挿入されますし、サスペンスを高めるために犯人の視点が入ったりもします)。この試行錯誤と、社会の流れについていこうとしながらついていけなくなっている、ヴァランダーの感覚がたまりません。

     かといって、ヴァランダー以外の刑事たちに魅力がないという意味ではありません。むしろヴァランダーの視点から固定して描くからこそ、性格が見え、顔が見え、〈マルティン・ベック〉とはまた違った魅力が味わえます。特に私はリードベリという刑事がとても好きなのです。それにヴァランダーの父もいいんですよね。ヴァランダーの姉と親父の仲は良好なのに、ヴァランダーと親父の仲は最悪。時に読むのがストレスになるほどのクソ親父なのですが、最後まで読むと……ああ、良いなぁ。

     事件そのものも「外国の」という言葉から手掛かりを捻り出し、試行錯誤する過程で読ませますし、400ページで綺麗にまとまっています。マンケルは謎解き部分もしっかりしていますし、この「外国の」という言葉の真相も私は結構気に入っています。ただ、まだ一作目でキャラクターが定まり切っていなかったのか分かりませんが、ヴァランダーが「いくらなんでも、それはどうなの?」という行動を取る箇所もあります。

    ② 『リガの犬たち』(原著1992年、邦訳2003年)

     海岸に一艘のゴムボートが流れ着いた。ボートの中には二人の男の射殺死体。彼らの身に着けていたもの、そしてボートを手掛かりに捜査を進めると、彼らはソ連か東欧の人間らしいと分かったのだが……。

     実のところ、一作目『殺人者の顔』を読んだ時点では、まだ『苦悩する男』まで完走――おまけに、一年以内に完走――する気は全くありませんでした。それがこの『リガの犬たち』を読んだ瞬間、ヴァランダーにハマってしまったのです。

     もちろん、ボートを手掛かりに追跡をかけていき、遂には海外出張編が始まるという、捜査小説の部分も面白い。ですが、最もヒットしたのが名キャラクターの登場です。それこそが、バイバ・リエパ。この後ヴァランダーの人生に深く関わることになる女性の登場です。一度自分の知性を下げて率直に書いておくと……なんか、なんでか分かんないけど、いい女なんだよなあ……。

     ちなみに、先に言及した〈マルティン・ベック〉シリーズの二作目、『刑事マルティン・ベック 煙に消えた男』(角川文庫、旧題『蒸発した男』)も海外出張編なのです。これはマンケルが狙ったのか狙っていないのか。いや、関係ないか。

     また、これは1991年春の「ソ連のクーデター」を目撃した後のマンケルが、クーデター前のリガを瑞々しく描いた小説でもあります。ヴァランダーは、「時代を見つめ続けた人」です。あとがきでマンケルが“今日われわれはバルト諸国の発展について状況的知識をもっているわけだが、この小説を書くにあたってそれを使わないようにするというむずかしさがあった”(p.435)、“わずか一年前のことなのだが、あのときはどうだったのかを常に思い出さなければならない。あのときはすべてがまったく違っていた。もちろんいまよりもすべてがずっと不明瞭だった。”(p.436)と述べているのを見て、バルト諸国の独立宣言を見た直後の著者が、あえてその「直前」を描くこの作を書き切ったことの困難を思い、マンケル自身も「時代を見つめ続けた人」だったと深く腑に落ちたのです。

     その瞬間、私はヴァランダーに、マンケルにハマりました。

    ③ 『白い雌ライオン』(原著1993年、邦訳2004年)

     男は暗殺を請け負った。標的はその人、南アフリカの英雄ネルソン・マンデラ。一方スウェーデンの田舎町では女性が失踪、その近くで謎の空き家が炎上した。焼け跡から黒人の指と南アフリカ製の銃、ロシア製の通信機器。ヴァランダーを世界的規模の陰謀が襲う。

     北欧ミステリのシリーズが社会問題を取り上げる際、アフリカに話が及ぶのは、移民に対する関心の高さゆえでしょう。他にアフリカの話をしている北欧ミステリとしてパッと思いつくのはトーヴェ・アルステルダール『海岸の女たち』(創元推理文庫)やアンデシュ・ルースルンドの某作品などでしょうか。

    『白い雌ライオン』は文庫一冊で700ページもあり、それでもこの後に続く上下巻の作品に比べればまだ(少し)短いのですが、スケールのデカさゆえにヴァランダーの一視点では到底収まらず、多視点になっているのもシリーズの他作品に比べてとっつきにくい原因かもしれません。とはいえ、最後まで読むと立ち現れてくる陰謀は読みごたえがありますし、シリーズとしても一つの重要作になることは確かです。

    ④ 『笑う男』(原著1994年、邦訳2005年)

     ヴァランダーの友人である弁護士が、彼のもとにやって来た。父は交通事故で死んだが、その死に腑に落ちない点がある、と。直後、その友人が殺されて……。ヴァランダーはいくつもの経済犯罪を追ううち、その背後に潜む「笑う男」の存在に気付く。

     め~ちゃくちゃ好きな長編です。③『白い雌ライオン』の結末を受けたヴァランダーの冒頭の情景があまりにも好きすぎる。デンマークのスカーゲンの海岸を一人で歩く失意のヴァランダーと、それを毎朝見つめる一人の女。苦悩する主人公が信じられないほど心に刺さってしまう私にとって、たまらないシーンです。

     それだけでグッと引き込まれてしまうのに、今回の犯人像と、その犯人との攻防がまた面白い。中盤ではもう「こいつが犯人だろ!」というのが出てくる(タイトルもタイトルですしね!)のですが、その後の「犯人は確定しているんだけど詰め切れない」感じが「刑事コロンボ」なんかを思わせるからでしょうか。謎解きミステリとして、というよりも、ドラマとして読ませるという感じですが。その滋味溢れる感じが、たまらなく読ませるんですよねぇ……。いやぁ本当に好き。

    ⑤ 『目くらましの道』(原著1995年、邦訳2007年)

     夏の休暇を待つヴァランダー警部の前に、凄惨な事件が続発する。菜の花畑の真ん中で、焼身自殺を遂げた少女。背中を斧で割られ、頭皮の一部を髪の毛ごと剥ぎ取られた猟奇死体の発見。猟奇死体はやがて連続殺人に発展する。恐るべき敵に、ヴァランダーはいかに立ち向かうか?

     さあ、ここから〈クルト・ヴァランダー〉シリーズの黄金期が始まる。『目くらましの道』から最終作『苦悩する男』に至るまで、ここから先は一作残らず傑作なのです。

     ここだけ太字にしてフォントデカくしておきたいくらいです。シリーズを読むよう熱烈に勧められた時、「『目くらましの道』以降はすべてが傑作である」と言われました。本当かよ、と思っていたのですが、完全に本当でした。『目くらましの道』は、1995年の時点で猟奇殺人VS名刑事のフォーマットを使いこなした警察小説なのです。マイ・フェイバリット・ヴァランダーその1。

     私はこの『目くらましの道』を読んだ時、あまりに猟奇的な事件の様相に驚きました。これまでヘニング・マンケルについての書評や評価を見た時に、猟奇サスペンス的な側面が強調されたことはあまりなかったからです(そういう書評や解説があったとしたら、ごめんなさい)。犯行の様相自体も残酷ですし、なぜ犯人がそのような行動をするに至ったか、という点には異形のドラマが用意されています。古式ゆかしい「名探偵VS怪人」の再現を行っているジェフリー・ディーヴァー『ボーン・コレクター』の原著刊行が1997年ですから、それより2年早いことになります(邦訳は1999年で、一方『目くらましの道』の日本刊行は2007年ですから、一見マンケルが先には全然見えませんが)。マンケルとディーヴァーでは読み心地も目指す方向も違うとはいえ、時をほぼ同じくして、共にシリアルキラー・サスペンスの魅力を確立しているのには驚かされました。

     本書には犯人側の視点も挿入されるのですが、その不気味さと、異形のドラマの面白さも素晴らしい。サスペンスに牽引されて、上下巻の分厚さも全く気になりません。おまけに、本格ファンなら、事件の構図にある海外古典を思い出すかもしれません。タイトルにある「目くらましの道」とは、「捜査が全く違う方向に進んでいるのではないか」というヴァランダーの不安をあらわした言葉です。そう、先に〈マルティン・ベック〉シリーズに触れながら述べた、警察小説の良い意味での「無駄足」感を象徴する言葉です。捜査手続きとして、人間の直感として、その可能性を潰しておくのはもちろん必要なのだけれど、でも真相から離れていっているような気がする……警察小説とはその過程を面白く描くミステリであり、それは本格ミステリが可能性潰しを行う楽しさと全く変わらないのです。

    「死体搬送車が夏そのものを運び去った」(p.63)とかそういう描写から出てくるロマンチシズムも良いんだよなぁ。ともあれ、『目くらましの道』はここからの傑作群の中でも、間違いなくマストリードの一つ。オススメです。

    ここから読む、というのもアリではあります。第二作『リガの犬たち』で登場したバイバが今作にも登場していて、ヴァランダーと付き合っているので夏の旅行に一緒に行こうとしている、という点だけ押さえておけば、基本的には、シリーズ上のことも大丈夫です。

    ⑥ 『五番目の女』(原著1996年、邦訳2010年)

     濠の中で数本のポールに突き刺されて死んだ男。花屋の主人は失踪し、木に括り付けられて絞殺される。彼らはなぜこのように残忍な方法で殺害されたのか? 父親とのローマ旅行から帰ってきたヴァランダーは、再び、異形の犯人との対決に挑む。

     マイ・フェイバリット・ヴァランダーその2。さっき言ったばかりじゃないか。速いよ、あまりにペースが速いよ。

     しかし、これはめちゃくちゃ良いのです。特にもう、連続殺人の意味が明らかになる瞬間と、犯人との対決シーンがとんでもなく良い。プロットの切り返しもうますぎで、大満足の一冊。

     マンケルはプロローグの置き所が上手い作家です。『五番目の女』はその良さが端的に現れています。彼は必ず、事件の遠因を示す地点から話を始めます。しかもその遠因というのが、本来置くべき位置から半歩ほど、絶妙にズレている気がするのです。その絶妙なズレが、一体この話はどこに繋がってくるのか? という興味を引き立てる。この「半歩のズレ」というのは、ジョン・ル・カレの第一章にも通じるのではないかと思うのです。ル・カレは冒頭では絶対に本題に入らないのですが、あとから本題でしかなかったことが分かりますからね。その「半歩のズレ」が人によっては「とっつきにくい」と言われてしまうところでもあるので、とっつきにくさを感じたら、サッと読んで本編に入ってしまうというのもアリです。後から戻ってくれば必ず意味が分かりますから。それにヴァランダーが登場した瞬間からもう超絶面白くなりますから。

     また『五番目の女』には、マンケルの「社会に対する感覚」が鋭敏に現れた一節があります。長いですが、以下に引いてみましょう。文中に登場する「リンダ」とは、ヴァランダーの娘の名前です。

    “紅茶を注ぎながら、リンダはなぜこの国に暮らすのはこんなにむずかしいのだろうと言った。

    「ときどき思うんだが、それはわれわれがくつ下をかがるのをやめてしまったからじゃないだろうか?」

     リンダは不可解な顔で父親を見た。

    「いや、本気だよ。おれが育った時代のスウェーデンは、みんな穴の開いたくつ下をかがっていた時代だった。おれは学校でかがりかたを習ったのを覚えているよ。そのうちに急にみんなそれをやめてしまった。穴の開いたくつ下は捨てるものになった。古くなったものを捨てるのは、社会全体の風潮になってしまった。もちろん穴の開いたくつ下をかがることを続けた人もいただろう。だが、そんな人たちの存在は見えなかったし、話にも聞かなかった。それがくつ下だけのことなら、この変化はそんなに大ごとではなかったかもしれない。だが、それがいろいろなことに広がった。(……)」”(本書上巻p.410)

     若い人から読むと(お前だって十分若いだろう、というツッコミはさておき)、高齢者の回顧にしか見えないかもしれませんが、この一節がとても良いのです。がっつりと社会問題の話に触れていた初期四作や、「菜の花畑で焼身自殺した少女」というモチーフを早々に叩きつけた『目くらましの道』と異なり、『五番目の女』では序盤から中盤にかけて連続殺人サスペンスとしてのエンタメ力でひたすら物語を駆動していて、社会的なものからは一度離れたように見えます。だが、そうではない。理解不可能な連続殺人を描くことが、その悪意を描くことそのものが、「スウェーデンがどこかおかしくなってしまった」という主題にそのまま直結している。そのことを、先に引用した一節は示しているのです。殺人を描くことそのもので社会のひずみを表現するうまさは、アーナルデュル・インドリダソン『厳寒の町』(東京創元社)などにも現れています。北欧ミステリはそういうのが絶妙に上手いんですよ。

    ⑦ 『背後の足音』(原著1997年、邦訳2011年)

     十八世紀末の衣装をつけて、野外パーティーを楽しむ若者たち。彼らは突然失踪を遂げた。夏の間は暇なイースタ警察署を、再び不可解な事件に巻き込む第一報は、失踪した娘の母親からの、必死の捜索要請だった。やがてヴァランダーは直感する。もう彼らは死んでいるのだ。彼らを殺した冷血な殺人者が存在するのだ。この町の誰かが……。

     マイ・フェイバリット・クルト・ヴァランダーその3、なんなら最終作『苦悩する男』を除けば、これこそがマイベスト。

     なぜならば、『背後の足音』は連続殺人サスペンスとしても中盤の二転三転の切り返しが見事な作品であると同時に、「一緒に働いていたはずの同僚の『顔』を知らない」ことに気付き、彼の行動を追いかけていく――そう、〈マルティン・ベック〉シリーズの『笑う警官』に通じる話であるからです。

     ネタバレなしで語れることは多くありません。とにかくこのプロットは凄い。警察小説で複数の事件が起きた時、それらの事件が繋がることに驚きを覚えるのは、似た趣向の作品が濫発された現代ではもう不可能で、興味・関心は「どう繋がるか」に焦点化されるでしょう(無論、R・D・ウィングフィールドの〈フロスト警部〉シリーズのように、どんどん事件を起こしてモジュラー型と言えるまでに事件を増やせば、例えばAとCの事件は繋がり、その繋がりからから事件Dの目撃者が現れるが、Bの事件は全く繋がらないで解けるというように、「そもそもこの事件とこの事件は繋がるのか」という含みを残しつつ読者を翻弄することが可能です)。

    『背後の足音』はこの「どう繋がるか」がもう既に見事ですし、そこからさらに何度も底が抜け……そして、最後に現れる犯人像が、実に素晴らしいんですよ。私は『目くらましの道』『五番目の女』『背後の足音』の三作が連続殺人サスペンスとしてトップクラスの完成度を誇るので、これだけを指して勝手に「異形の連続殺人鬼三部作」と呼びたいのですが、『背後の足音』の犯人はその三部作の最高点に位置します。不気味でゾッとする犯人、最高だよなあ。

     もっと言えば、この「不気味さ」というのは、独白が変わっているとか、その程度では全然ダメで、犯行態様そのもので、そこに潜む人間への悪意そのもので魅せてくれなきゃダメなのです。連続殺人鬼は独白ではなく、犯行現場と死体で語れ。『背後の足音』はそれが良い。犯人が現場で何をしたか分かった瞬間、腹の底から震えあがるなんてもう何年も味わっていなかった。ここにはその戦慄がある。なんてビザール。

    ⑧ 『ファイアーウォール』(原著1998年、邦訳2012年)

     19歳と14歳の少女がタクシー運転手を襲う事件が発生した。彼女らは金欲しさの犯行だと自供するが、ふてぶてしい態度を取り、反省の色はない。尋問の席で母親を殴った少女にカッとしたヴァランダーは、取調室で少女を殴ってしまう。その瞬間を、新聞記者は押さえていた。

     上のあらすじを読んで、「うわあ」と思った人は同志です。警察小説が大好きな私でも、どうしても受け付けない描写があって、それはマスコミの描写です。警察小説に限らず、私は「無理解な他者の集積」という表現が苦手で、まあそれは現実そのままだから、と言えばそれまでなのですが、どうにも。同じ理由でSNSの描写も苦手で、よほど良いバランス感覚で書かれていないと受け付けられません。日本のドラマをあまり見られなくなったのは結構それが理由。横山秀夫の『64』のように、広報が主人公としてガッツリ書かれ、主題になっているとかなら、良いのですが。

     さあ、ではヴァランダーはどうだったか。結論から言いましょう。マンケルのバランス感覚は、やはり絶妙でした。記者のくだりはしっかり書かれますが、そればかりに拘泥することはありません。むしろ、その後の容疑者の翻意という形で、謎の一つに絡んでさえいます。実に器用。そうそう、こういう感じでやってくれないとダメなんですよ。

     また、怒りっぽいというのは彼自身の人間描写でもあります。後に娘のリンダを語り手に据えた『霜の降りる前に』でも、父親の爆発がいつも苦手だったという旨のことが書かれています。少女に手を上げた瞬間にはさすがに私も引きましたし、1999年の作品だなあと思いましたが、そのあたりのバランスを対マスコミ描写でうまく取っていたということも出来るかもしれません。

     しかし、これでは殺人事件周りの話がまるで伝わりません。では、あらすじを少し変えてみましょう。

     二人の少女がタクシー運転手相手に強盗を働いた。彼女らは犯行を認め、証拠もそれを示している。だが、ヴァランダーはこの事件の背後には何か大きなものが蠢いていると直感する。しかし、その直後容疑者の少女が失踪。変電所からは謎の焼死体が発見され、モルグからは死体が消える。一体、何が起こっているのか?

     どうです? 面白そうでしょう? マンケルはこれまでの作品でも複数の事件を起こしてきましたが、『ファイアーウォール』までくると「モジュラー型」に発展したと見て良いと思います。壮大な図柄のピースが繋がり、タイトルにもある「ファイアーウォール」に結びつくまでの流れが実に見事です。お察しの通り、パソコンのファイアーウォールのことですが、今のところ全然パソコン出てこないでしょう? どう繋がるのか気になりませんか?

    ⑨ 『ピラミッド』(原著1999年、邦訳2018年)

     ヴァランダー・シリーズの中短編集です。各編のあらすじは、ここでは割愛します。この後今年の新刊『手/ヴァランダーの世界』によって中編「手」が一本追加されたわけですが、基本的にはシリーズの中短編集はこれ一冊。しかも、これは『殺人者の顔』以前のヴァランダーを描く作品集なのです。そう、「新米刑事ヴァランダー」というわけ(Netflixでも同名のドラマが独占配信されていますが、また原作とは違う内容でこれも面白い)。二十代、まだマルメ署で働いていた頃から、イースタ署に移るまでの過程や、ヴァランダーの元妻・モナとの関係性の変遷も味わうことが出来ます。

     これからヴァランダーを追いかけたいけど、長編はどれも長くて食指が動かない……という人には、まずこの『ピラミッド』を大いにオススメします。謎解きミステリとしてのヴァランダーの魅力、社会を見つめる警察官としての視点も、既にここには色濃く表れています。冒頭の「ナイフの一突き」の1ページ目を読めば、思わずグッと引き込まれてしまうこと請け合いですし、「裂け目」という30ページ強の短編には、ヴァランダーの社会への「視線」の魅力が端的に現れています。「海辺の男」「写真家の死」も良い謎解きミステリですし、本書の中で最も長い「ピラミッド」は中編サイズでマンケル作品のスケールの大きさと、ヴァランダーの父親とのいざこざを楽しむことが出来ます。大充実の作品集で、自信を持ってオススメします。

     また、この作品集では、短編・中編ごとに登場人物紹介がついているのが嬉しいところ。海外短編集をオススメしても、「海外を読む時はいつも登場人物紹介を参照しているけど、中短編集だと自分でメモを取らないといけないからなかなか読めない」と言われたことが昔、ありますが、そんな人でも『ピラミッド』は安心です。最近だと、アレックス・パヴァージ『第八の探偵』(ハヤカワ・ミステリ文庫)も、作中作の短編の登場人物紹介がしおりカードの形で付属していました。こういう工夫で少しでも読む人が増えるなら良いですね(それにしても、ハヤカワの登場人物紹介カードは、あれがついているかついていないかで、将来古書店での値段が変わったりしそう)。

    ・番外編『タンゴステップ』(原著2000年、邦訳2008年)

     森の中の一軒家で、人形をパートナーにしてタンゴを踊る退職刑事。54年間、彼を追いかけ続けてきた過去が、その日、彼の命を奪った。かつての師である刑事の死に、舌癌の宣告を受けたステファン・リンドマンが挑む。

     この作品は番外編の位置づけで、『手/ヴァランダーの世界』の「Ⅱ クルト・ヴァランダーの物語」のあらすじ紹介でも触れられていません。事実、『タンゴステップ』にはヴァランダーは一切登場しません。ただ、ここに登場するステファン・リンドマンが、次作『霜の降りる前に』で印象的に登場するので、順番に全て攻略したいという場合は読んでおくべき作品です。

     2000年にスウェーデン本国で刊行され、2002年にドイツで翻訳刊行されたという本作。プロローグを見ても分かる通り、第二次世界大戦時のドイツからの因縁がこの作品には流れています。それが明らかになるまでの過程がややもったりしているのがとっつきにくさの原因ですが、ステファンの苦悩はヴァランダーのそれとも重なり、非常に読ませます。『リガの犬たち』で既に原型が完成していた、「国際政治上の事件が波及して、スウェーデンで悲劇を生む」というプロットが一つの結実を生んだ作品です。ラストシーンの感慨もひとしお。『目くらましの道』に続いて優先して翻訳されたのも納得の力作です。

    ⑩ 『霜の降りる前に』(原著2002年、邦訳2016年)

     ヴァランダーの娘・リンダは、父親と同じ道を歩むことになった。この秋にイースタ署に赴任することが決まったリンダの前で、友人の一人がいきなり失踪した。まだ警官になっていないからと諫める父をよそに、リンダは事件にのめり込んでいくが……。

     長期シリーズの、こういった変化が嬉しくてたまりません。あのリンダが警察官に! しかも語り手を務めてくれるのです。私は新米刑事作品の「新米ゆえの危うさ・失敗」というのも大好きなので、『ピラミッド』の「ナイフの一突き」でヴァランダー自身の新米刑事ぶりを味わった後に、こんな形でまた新米刑事ものが読めていいのか、と飛び上がってしまいました。今まで、ヴァランダーから見た自己と、同僚から見たヴァランダーは描かれてきましたが、娘の目から見た父がきちんと描かれるのも嬉しいところ。先に述べた、父親が癇癪を起した時の娘の反応なども、辛いとはいえ読ませます。ヴァランダーの元妻・モナとも、ヴァランダー自身はあまり関わりを持っていなかったなか、リンダの目から今の姿が描かれて、思わず衝撃が走ります。モナ……。

     事件の展開自体も、ありふれた失踪事件かと思いきや、中盤のツイストを経てどんどんねじれた方向に向かっていきます。これも結構残酷な話だよなあ……。プロットのツイストで何度も驚かされるんですよ。特にあのシーンなんて……おっと、これはやめておきましょう。あと下巻のステンドグラスの表紙ですが、読み終えてみると確かにこれがぴったりだと思わされますね。ヴァランダー・シリーズ、衰え知らず。

     そして、彼の冒険は、次で最後になります。

    ⑪ 『苦悩する男』(原著2009年、邦訳2020年)

     リンダのパートナー、ハンスとの間に子供が生まれた。五十九歳のヴァランダーは、初孫の誕生に喜ぶが、自分の記憶が時折欠落することに悩まされてもいた。そんな中、ハンスの父親・ホーカンの誕生日パーティーに招かれる。退役した海軍司令官である彼は、ヴァランダーに「ある話」をする。なぜ、彼は自分のその話をしたのだろうか? そして突然、ホーカンは姿を消した。あの「苦悩する男」は、一体何を抱えていたのだろうか?

     ここには、目を惹きつけるような連続殺人も派手さもありません。ただ、滋味溢れる、最高の推理小説があるのです。失踪した人間の追跡から始まるプロットは、これまで見たとおりマンケルの十八番で、なんなら前作『霜の降りる前に』にも似ていますが、ある時点のツイストで事件は異様な様相を呈します。この事件の背後に、一体何が潜んでいるのか? ぞくぞくするような謎ですし、そこにプロローグで書かれたような政治状況がしっかり絡んでくる。他の国の歴史上の事件、国際政治上の事件が波及してスウェーデンで悲劇を生む構成は、『リガの犬たち』で早くも試みられ、『タンゴステップ』で一度完全に成就させたダイナミズムです。

     そして、ヴァランダーの私生活上の苦悩も、一つずつ繋がっていきます。あのキャラクターとの関係。あのキャラクターとの人生。彼自身が記憶の欠落に悩まされる中、事件をひたすらに追いかけ、真実に迫っていく。事件の構図を遂に導き出すヴァランダーの姿は、名探偵の輝きに満ちています。本書の解決はまさしく謎解きミステリのそれです。

     そして、ラストシーン。

     全てが暖かく柔らかな光に包まれ、ヴァランダーという男の人生が一つの地点に収束する瞬間。それを限りなく綺麗に切り取った美しい文章。このエピローグを、私は生涯、決して忘れることはないでしょう。

     今も思い出すだけで、涙ぐんでいます。

     未読の方はぜひ、「クルト・ヴァランダー」という名の旅路を、ここまで順番に、きっと、追いかけてきてください。絶対に、この作品は最後に読まなくてはいけません。

    ⑫ 『手/ヴァランダーの世界』(原著2013年、邦訳2021年)

     そして、これが今年の新刊です。「ヴァランダーの世界」についてはさんざん話しましたので、オランダの書店で、犯罪小説を一冊買うとおまけに小説がついてくるというキャンペーンが開かれて、そのキャンペーンのために書き下ろされたという「手」。なんだその豪華なキャンペーンは? おまけでマンケルの小説を?? しかも150ページもある中編を??? と脳がバグってしまうのですが、『霜の降りる前に』から『苦悩する男』の間を埋める、ファンにとってはとても嬉しいボーナストラックです。

     ヴァランダーはある時から田舎暮らしを夢見るようになりますが、その物件探しの最中に人間の手の骨を見つけてしまう、というあらすじ。ヴァランダー、なんであなたはいつもいつもそんな目に……? 過去の殺人を掘り起こしていく過程に味がありますし、ラストの犯人との対決まで、一気呵成に読ませるスマートな中編です。もうとっくに時効の事件なので人員も予算も割けない、と人員を激絞りされるあたりが実に「らしい」ですね。今から追いかけるのだとすると、時系列的順に『霜の降りる前に』→『手』→『苦悩する男』と読むのもアリだと思います。『苦悩する男』を読み切った後は、しばらく動けなくなりますもんね……。

    〇完全攻略、まとめ

     ということで、八か月にわたるヴァランダー完全攻略をこれにて終了いたします。結論から言うと、

    1、 長編からいきなり入るのが億劫な人は、時系列的にも最初にあたる『ピラミッド』から読み始めるのもオススメ

    2、『目くらましの道』以降は全て傑作で、特に『目くらましの道』『五番目の女』『背後の足音』の三作は「異形の連続殺人鬼三部作」と称したいほど、サスペンスの魅力と謎解きミステリの鮮やかさに満ちた超傑作群。一作目から四作目が読みづらければ、『目くらましの道』から読む方法もある

    3、『苦悩する男』だけは、絶対に最後に読んで欲しい。

     こうなります。いやぁ、本当に面白かったです。〈マルティン・ベック〉シリーズをまとめ読みした時も興奮しましたが、〈クルト・ヴァランダー〉シリーズはこれからも折に触れて読み返す作品群になりそうです。高校生でスティーグ・ラーソン『ミレニアム』を読んだ時から、北欧ミステリには陰惨なスリラーの印象がついていて敬遠していたのですが、いやいやどうして、〈マルティン・ベック〉〈クルト・ヴァランダー〉は滋味に溢れた実に良い推理小説ではありませんか。この流れに、アーナルデュル・インドリダソンやヨハン・テオリン、ラグナル・ヨナソンを加えてもいいです。

     マンケル作品は全部で四十五作品あり、ヴァランダー以外にも多彩な作品世界が広がっています。2019年に邦訳された『イタリアン・シューズ』も、老境の主人公と過去の恋を描いた素晴らしい作品で、訳者あとがきによればその続編「スウェーデン製のゴム長靴(仮題)」の邦訳に次は取り掛かるとのこと。期待が高まります。ちなみに私はヴァランダーを完全攻略すると決めた時から、『北京から来た男』はもったいなくて読むことが出来ていませんし、『流砂』は闘病エッセイと聞いているのでもっとメンタルが整ってから読もうと大事に取ってあります。でもマンケルのユーモア感覚なら、陰鬱にはなっていないと思うんですよね……。

     最後に。「ヴァランダーの世界」の「Ⅰ 始まりと終わり、そしてその間になにがあったか?」では、なぜヴァランダーがこれほどの人気を勝ち得たのか、作者自身による分析があります。これ自体、ユーモアの感覚に満ちた、実にマンケルらしい文章ですが、私も私なりに一つ、なぜヴァランダーがこれだけ人気を集めたか、自分の思いを書いていこうと思います。

     今回、完全攻略のタイトルの横に、原著刊行年と邦訳刊行年をあえて併記しています。『殺人者の顔』の原著刊行は1991年、『苦悩する男』の刊行が2009年、その間は18年間。そう、邦訳刊行年は前者が2001年、後者が2020年なので、19年間。訳者・柳沢由実子による着実な、そして統一された邦訳のおかげで、作者と本国の読者が歩んだのと同じペースで、日本の読者はクルト・ヴァランダーの世界に接することが出来たのです。ヴァランダーは社会を見つめ続け、そこに順応できない自分に悩み、一歩一歩、『苦悩する男』で訪れる、最後の暖かく柔らかな光に向けて、歩んできたのです。

     この約20年、クルト・ヴァランダーはわれわれと共に生きてきた。だから、彼の体温をわれわれは愛するのです。

    (2021年7月)



第18回2021.07.09
輝かしき三部作(サーガ)、ここに閉幕 ~皆川愽子の底知れぬ魅力~

  • 皆川博子、書影


    皆川博子
    『インタヴュー・ウィズ・
     ザ・プリズナー』
    (早川書房
     ハヤカワ・ミステリワールド)

  •  今週、小学館文庫からラグナル・ヨナソン『閉じ込められた女』が発売されました。解説は私、阿津川辰海が務めています。この作品は、フルダという女性警察官を描いた三部作の完結編にあたるのですが、フルダ・シリーズは〈逆年代記〉の手法で綴られているのがミソ。第一作『闇という名の娘』では六十四歳、定年間際のフルダ、第二作『喪われた少女』では五十歳。そして本作『閉じ込められた女』が、実は時系列では一番前に来るというわけです。つまり、三部作の完結編にもかかわらず、ここから読むことも可能です。

     寒さが厳しいアイスランドの田舎で、クリスマスの吹雪に降り込められた夫婦と一人の「招かれざる客」。三人だけの奇妙な空間で繰り広げられる凄まじいサスペンスと、フルダによって解き明かされる意外な真実。そしてフルダ自身を襲った「悲劇」の顛末とは? 素晴らしい傑作です。ぜひご一読を。

     今年は何やら、三部作の最終巻を読むことが多い気がします。先月も言及した『三時間の導線』(ハヤカワ・ミステリ文庫)は「時間三部作」の完結編にして最高到達点と言えますし、今解説を書いている本も……と、まあ、この情報は、またのお楽しみということで。

     さて、そんな三部作の中から、今月は皆川愽子『インタヴュー・ウィズ・ザ・プリズナー』(早川書房)をご紹介。第12回本格ミステリ大賞を受賞した『開かせていただき光栄です ―DILATED TO MEET YOU―』が一作目となる本作は、18世紀のロンドンを描く歴史小説であり、作中随一のトリックスターであるエドワード・ターナーの魅力によって牽引された無類の本格ミステリなのです。

     一作目『開かせていただき光栄です』では、18世紀ロンドンでまだまだ異端視されていた解剖学の描写が目を引きます。死体を盗掘してサンプルを得るしかなかった当時の状況や、外科医ダニエル・バートンの五人の弟子たちのユーモラスでどこか病んだやり取り、盲目の治安判事ジョン・フィールディングというキャラクターの魅力がてんこ盛りに盛られたうえ、「解剖教室からあるはずのない死体が出現する」「しかもその死体は四肢を切断されている」という魅力的な謎が現出するのですから、これはもう、たまりません。

     詩人志望のネイサンを描いたパートも、青春小説としてとても読ませますし、ネイサンのパートとダニエルたちの殺人事件のパートがどう絡むのかも物語の吸引力になっています。ここで生きてくるのが本シリーズのトリックスター、エドワード・ターナー(エド)の活躍で(三作目の帯に「エド、最後の事件」ってデカデカと書いてありますし、これくらいでは致命的なネタバレにはならないということで……)、彼がカードを開くたびに二転三転する事件の行方には思わず手に汗握ります。第12回本格ミステリ大賞は城平京『虚構推理』との同時受賞で、『虚構推理』は先鋭的な多重解決の趣向が話題になったわけですが、皆川愽子も中盤の手数の多さ、事件の構図のうねりは、まさに「多重解決」と言っていいほどです。

     そして二作目『アルモニカ・ディアボリカ』。ネタバレを避けようと思うと言及できることがどんどん少なくなるのですが、順番に読んでいくと、思わず嬉しくなってしまうことと、思わず叫びそうになるようなことがどんどん起こります。これがこの三部作を「サーガ」と呼びたい理由で、やはり順番に追いかけなければと思わせるのです。

     洞窟の縦穴から、まるで天使のように現れた死体。その胸には「ベツヘレムの子よ、よみがえれ! アルモニカ・ディアボリカ」という謎の暗号が。暗号の意味を巡って、事件は過去へと遡っていくのですが、これが一作目の刑務所描写以上に胸を抉ってくるようなもので、実に読ませるのです。ここまでくればもうこの三部作から逃れるのは不可能。心に深く刻み込まれる、あまりにも印象的なラストは忘れようがありません。

     そして、三作目。『インタヴュー・ウィズ・ザ・プリズナー』です。読み始めてすぐに膝を打ちました。アメリカ独立戦争! 18世紀ロンドンを生き生きと描いてみせた皆川愽子が、更に新天地を求め、まだまだ高みに登り詰める。もちろん、皆川愽子の歴史ミステリが絶品なのは知っています。『死の泉』や『伯林蝋人形館』、『総統の子ら』あたりが私のイチオシですが、ここに来てまた超えてくるなんて……。アメリカの先住民族・モホークが、互いを「空を舞う鷹」「美しい湖」と呼び合う描写、風物の描写だけで、もう良質の海外歴史小説を読む感覚に舌鼓を打ってしまうわけですが(ある意味ジーン・ウルフのSFミステリ『ケルベロス第五の首』の二話目なんかも思い出しますね)、そこに、囚人として捕らえられているエドの謎まで加わっているのですから、面白いのなんの。

     今回の謎は、なぜエドはある男を殺したか? というものですが、本来は追及されるはずのエド(このタイトルですしね)がある手記を手渡された途端、一転して推理を始めるのが面白い。人を喰ったようなエドのキャラクターも相まって、二転三転の本格ミステリに仕上がっています。

     一作目『開かせていただき光栄です』以来、エドワード・ターナーと他の弟子四人の来し方に思いを馳せていたファンに対しての贈り物と言える作品ですが、そんな言葉では済みそうにないのも、さすが皆川愽子、一筋縄ではいかないというか……。今回も堪能しました。くれぐれも、順番に、順番に、ですよ。

    (2021年7月)



第17回2021.06.25
ユーディト・W・タシュラー、ますます好調の二作目!  ~ドラマ豊かな文芸ミステリ~

  • ユーディト・W・タシュラー、書影


    ユーディト・W・タシュラー
    『誕生日パーティー』
    (集英社)

  •  オーストリアの作家・タシュラーは2019年に、本国で権威あるミステリー賞であるフリードリヒ・グラウザー賞を受賞した『国語教師』(集英社)が邦訳されました。日本でも各種ミステリーランキングで好成績を収めた作品です。

     十六年ぶりに再会した男女。男は有名作家、女は国語教師。彼女は学校のワークショップのために男に連絡を取ったのです。小説は彼らのメールのやり取りから始まり、やがて彼らの会話文、彼らがそれぞれに語る「物語」、さらには供述調書(!)で構成され、彼らが序盤からなかなか語らない、謎めいた過去の事件の正体を次第に明かにしていきます。

     タシュラーの特徴を一言で言うなら、「カードの開け方が上手い作家」です。メールや会話文などから、モザイク状の図柄を少しずつ見せていき、次への引きを作りつつ、しかし、肝心な部分は決して見せない。この書き方が堂に入っており、しかもストーリーにも凄まじい求心力があるので、グイグイ読まされてしまうのです。

     しかも『国語教師』の構成要素には作中作、つまり「物語」がありました。もちろんある程度作中の現実を反映していますが、虚構も混じっている。そうした虚々実々の構成の中から、真実を紡ぎだしていき、二人の主人公の物語がぐわーっと立ち上がってくるという、非常にトリッキーな構成でした。文芸寄りでありながら、ミステリーファンにも自信を持って勧められたのは、そうした構成のゆえでした。

     さて、では今回の邦訳二作目『誕生日パーティー』はどうか。今回もまた、メールのやり取りから始まるのにはニヤッとさせられますが、作品の狙いは『国語教師』とまた別のところにありました。つまり、『国語教師』は「物語」を描く小説だったのに対し、『誕生日パーティー』では苛烈なまでの「現実」が描かれるのです。

     あらすじはこうです。ドイツで妻と子供三人との幸福な家庭を築いたカンボジア移民のキムは、五十歳の誕生日パーティーの日、末っ子が用意した「びっくりプレゼント」に困惑する。そのプレゼントとは、キムがカンボジアから亡命した際、一緒に逃げてきた妹分の女性、テヴィとの再会だったのだ。苦しい時を一緒に過ごした存在だが、同時に、最も会いたくない人物でもあった……。

     小説は、2016年の誕生日パーティーの模様を描く三人称多視点の家族の群像劇、1970年代、ポル・ポト政権下でクメール・ルージュの活動に苦しめられる二つの家族の物語、キムの回想、そしてキムとテヴィをドイツに引き取ってきた女性モニカの日記などで構成され、「キムの過去に何があったのか?」「それほど大切な妹分と何年も音信不通だったのはなぜなのか?」という謎を少しずつ解きほぐしていきます。

     中盤以降から克明に描かれていく、ポル・ポト政権下でのカンボジアの様子は、思わず胸が痛くなるほどです。知識人よりも農民の方が価値あるとされ、知識人や反体制派が次々連行され処刑されていく。読み書きができる、眼鏡をかけている、というだけの理由で殺された人もいる。そんな「地獄」の中で、回想の中に現れる二つの家族はどう選択し、どう生きてきたのか。その凄まじいドラマが、物語の求心力にもなっています。

     また中盤、そうした苛烈な状況下で生き残ったキムを「誇りに思っている」娘・レアが、学校の授業でキムに当時のカンボジアでの体験を話してもらえないかと乞われ、学校に行くパートも特に心に残りました。こんな辛いシーン、よく書けるな、と思いつつ、すっかりのめり込んでしまいました。

     こうした家族一人一人の描写、書き方も素晴らしいのです。レアが父を「誇りに思っている」こと、父に過剰なまでの優しさを向けてしまうその心情や、そこに戸惑いを感じてしまうキムのありよう。あるいは完璧な善意でテヴィを誕生日パーティーに呼び寄せてしまった息子ヨナス。テヴィとキムに対する妻イネスの態度。カンボジアのパートに現れる一人一人にも、描写の妙があります。特にホテルのシーンがとても良い。『国語教師』がテクスト中心というか、ひたすらに「語り」のみで構成された小説だったがゆえに、風物描写や凄惨な現実の描写もこんなに上手いのかと感心させられっぱなしでした。

     ミステリー的にも、タシュラーお得意の「カードの開け方」によって、鮮やかなネタが用意されていますし、『国語教師』と同様、暖かな救いに導くその手際が素晴らしい。ネタ自体は、最近の翻訳ミステリーにも似た趣向の作品があるのですが、物語が優れているので、それだけで評価が下がることはありません。1970年代のカンボジア情勢の苛烈さをここまで描いているにもかかわらず、この救いに暖かさと、そして納得を感じるのは、「それから」のキムたちの生活、その姿をタシュラーが克明に紡いできたからでしょう。大満足のミステリーでもあり、一級品の小説でもある。今回も堪能いたしました。

     人間性さえ剥奪されるような苛烈な状況を描いたミステリーとして、ほかにベン・クリード『血の葬送曲』(角川文庫)、アンデシュ・ルースルンド『三時間の導線(上・下)』(ハヤカワ・ミステリ文庫)、アレックス・べール『狼たちの城』(扶桑社BOOKSミステリー)も併せてオススメしておきます。

    『血の葬送曲』は1951年のレニングラードを描いた作品で、警察官も秘密警察に粛清される時代が描かれます。線路の上に並べられた五つの惨殺死体、という謎も描かれますが、この事件の動機については完全にどうかしていて、しかし不思議と納得感がある。そういう謎解きミステリー的な意味でも良いですし、音楽の道を断たれた主人公が過去と立ち向かっていく犯罪小説としても、歴史小説としても大いに楽しめます。そもそも、主人公のチームが線路上の死体の調査に赴いたのも、現場の所轄署の警官が一人を除いて秘密警察に連行されたからで、思わず呆れかえってしまうような描写に、妙なリアリティーがあるのです。トム・ロブ・スミス『チャイルド44』はもちろん、猟奇殺人アイデアとの取り合わせがニクラス・ナット・オ・ダーク『1793』なども思わせます。

    『三時間の導線』は、グレーンス警部シリーズの最新邦訳作にして最高傑作です。ベリエ・ヘルストレムをコンビとして、『制裁』『ボックス21』『死刑囚』『地下道の少女』(いずれもハヤカワ・ミステリ文庫)と、犯罪捜査を通じて社会の暗部を抉るミステリーを書き続けてきた作者ですが、『三秒間の死角』(角川文庫)から、これまでの作風にサスペンスや冒険小説の興奮を加えたものを立て続けに発表しています。続く『三分間の空隙』(ハヤカワ・ミステリ文庫)、そして新刊『三時間の導線』のいわば「時間三部作」(果たして三部作なのかは分かりませんが)は、そのスケールの大きさと興奮度を一作ごとに加速させていて、『三時間の導線』は本格ミステリーとしても冒険小説としても超絶無比。死体安置所に、一体死体が増えている……という発端から始まり、冒頭100ページはその謎解きにあてられますが、人を人とも思わない過酷な環境に放り込まれた、凄惨な状況がいきなり描かれ、胸を締め付けられます。グレーンス警部が猟犬のように獲物を追いかける過程も面白いですし、ある「潜入作戦」を描くパートは手に汗握ります。最大限楽しむためには『三秒間』から順番に読む必要があるので、追いつくには時間がかかりますが、それだけの価値がある傑作です。

     アレックス・べール『狼たちの城』は第二次世界大戦下のドイツを描いた作品です。半密室状態の古城で殺害された女優。彼女の発見された部屋はゲシュタポ長官のノスケのもので、門番が人の出入りを監視していたので、ノスケが第一容疑者として疑われる状況……いかにも本格ミステリーらしい状況設定ですが、ゲシュタポはこの門番を拷問して自白を引き出そうとするという。呆れる描写の妙なリアリティーは『血の葬送曲』にも通じます。この事件を解決するのが、なんとユダヤ人の古書店主。彼がなぜ名探偵を務めるか――務める羽目に陥るかは、それ自体がスパイスリラー的なくすぐりに満ちているので、出来ればあらすじ等にも目を通さずに読み始めてほしいところ。アウシュヴィッツ収容所での虐殺前夜を描いた作品なので、主人公の古書店主の命運いかに、とハラハラドキドキしながら読める良質な歴史スリラーです。

     今月は紹介したい新刊が多く、長々と書いてしまいました。特に、『血の葬送曲』『狼たちの城』の二作は歴史ミステリーで、『誕生日パーティー』も歴史をがっつり描いたものだというのが、歴史好きの私には嬉しいところ。日本では米澤穂信『黒牢城』が、戦国時代の武士の価値観を描いて、描いて、描き切ることが不可能犯罪や不可解な曲事、またそれを解く理由に説得力を与えていて、かつそれが結末において胸を打つダイナミズムにもなっているという、歴史とミステリー両方大好きな私が随喜の涙を流すような作品でした。嬉しい月でしたね。

     ところで、『誕生日パーティー』の冒頭は鴨を捌くシーンから始まって、小説の全体に鴨が印象的に登場するのですが、なんだか鴨が食べたくなってきてしまった。血抜きとか断頭のシーンが多いので、全然おいしそうじゃないのに。鴨南蛮とか食べたいなあ。

    (2021年6月)



第16回 特別編42021.06.11
「普段使い」のミステリが好き ~ディヴァイン邦訳作品全レビュー~

  • D・M・ディヴァイン、書影


    D・M・ディヴァイン
    『運命の証人』
    (創元推理文庫)

  • ●「普段使い」が出来るミステリとは?

     翻訳ミステリ大賞シンジケートのホームページで、毎月、書評七福神と称された七人の評論家がその月で面白かった海外ミステリを紹介する連載があります。2011年から続く連載が、このたび、一冊にまとまりました。それが『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011‐2020』(書肆侃侃房)です。

     手に取った印象は、まさに、壮観。巻末の著者別、タイトル別索引リストも嬉しい。毎月毎月、10年間も継続してきたことというのは、形にまとまると凄いな、と思いました。しかし、何より嬉しいのは、書き下ろしのコラムでそれぞれの方が挙げる「この10年間のベスト作品」や、あるいはそれぞれの方の年末ランキングの選考からは漏れてしまうような、面白い本をたくさん拾えるところ。例えば既読作でも、マイケル・オンダーチェ『名もなき人たちのテーブル』とか、ロバート・クーヴァー『ノワール』とか、フランシス・ディドロ『七人目の陪審員』などなど、あまり触れられないけれど面白く、懐かしいタイトルを見るだけでニヤッとしてしまいます。

     この本を読んでいると、霜月蒼が何かのイベントの折に、リー・チャイルドやマイクル・コナリーを指して言っていた「『普段使い』が出来る新刊」というフレーズが思い出されます。気軽にパッと読めて、いつも本棚に常備しておきたい。いわば「常備菜」なのです。そうした作品は、決して年末のランキングで高い位置につけることはありませんが、しかし、毎月毎月の生活の中で、日々に潤いを与えている存在であることは間違いありません。例えば海外新刊の分厚いハードカバー上下巻を読む時などは、さすがに、えいやっと気合を入れて、面白かったら年間ベストにも投票できるかもしれないぞ、と思いながら読むわけですから、そうした気負いもなく読める「普段使いの新刊」「常備菜」がいかに身に染みるか……。毎月行われていた「書評七福神」の連載からは、そうした「普段使い」も色々見つけられそうで、ウキウキしています(もちろん、各々の「この10年のベスト」発表も見ごたえ抜群ですので、お見逃しなく)。

     ということで、今回のテーマは私にとっての「普段使い」のミステリとしました。ここで5月の新刊、D・M・ディヴァイン『運命の証人』(創元推理文庫)をご紹介。

     私にとって「普段使い」の本、「常備菜」としての本とは、大体三つの種類があります。一つは「短編集」。お気に入りの作家・シリーズの短編集を持っておいて、それを一日一編ずつくらい読む。北村薫、恩田陸、若竹七海作品や、もう読み尽くしてしまった中では「異色作家短篇集」シリーズ(早川書房)、「現代短篇の名手たち」(ハヤカワミステリ文庫)、「英米短編ミステリー名人選集」(光文社文庫)などがあります。最近は『ソーンダイク博士短篇全集』全三巻(国書刊行会)をちまちま楽しんでいます。

     二つ目は「通勤電車で読むと楽しい本」。要するにお仕事小説などですが、とりわけ警察小説、しかもチームでの捜査がぴたりとハマっていればいるほど、通勤電車で下がった気分を持ち直してくれます。〈刑事マルティン・ベック〉シリーズも、〈クルト・ヴァランダー〉シリーズ、あるいはヒラリー・ウォーの小説などもここに入ります(ヴァランダーは大体上下巻だけどいいのか、という声が聞こえてきそうですが、マンケルは読みやすいのであまり長さが気にならないんですよね……)。だから面白い警察小説シリーズに出会うと、嬉しくなってしまうわけですね。大学生の頃、サークルのOBが「横山秀夫は社会に出てからの方が数十倍面白く読める」と言っていて、卓見だと思ったことがありましたが、感覚はかなり近い気がします。

     そして三つ目が、「地味なミステリ」です。誤解しないで欲しいのですが、私は「地味」という言葉を、誉め言葉として用いています(このせいで人と感覚が合わない)。描写はゆったり、事件はさほど多くは起こらない、人間を描くことに力を注ぎ、ケレン味などは一切ない。これがもう、とにかく落ち着くのです。日々の生活で疲れた心を癒してくれる本です。このカテゴリに属するのが、レジナルド・ヒル、P・D・ジェイムズ、アン・クリーヴス、ジム・ケリー、そしてD・M・ディヴァインです。クリスティーとラブゼイも加えたいところですが、どちらかというとこの二人にはケレン味のうまさを感じるので、近い位置ですが別枠なイメージ。

    ●ディヴァイン作品との出会い

     私が初めてディヴァインの作品を手に取ったのは、高校二年生の正月のことです。高三のセンター試験本番に向けて、高二の同日にセンター試験の問題を解く、という予備校の模擬試験があり、うちの高校では全員でその模試を受けることになっていました。勉強しろと教師からも口うるさく言われていたのですが、正月だから祖父の実家には行くと連れ出され、とにかくミステリを一冊持っていこうと本棚の前で呻吟。その時、クリスティー絶賛の評に惹かれて買っていた『兄の殺人者』(創元推理文庫)をなんとなく手に取り、持って行ったのでした。

     そうしたら、面白いのなんの。まるで霧の中を手探りで行くような、重苦しく、濃密な人間関係を楽しみ、フーダニットの冴えを楽しみ……。実は、『兄の殺人者』は初読時からすでに、手掛かりから真犯人まで完答してしまったのですが、それだけにディヴァインのフーダニット作りのうまさ、伏線のうまさに、初読で感心しきってしまったのです。

     それ以来、折を見て、『悪魔はすぐそこに』『ウォリス家の殺人』『災厄の紳士』『五番目のコード』などを買い集めて読み……今でもその習慣は変わりありません。しかも、初読時に、大学受験というある程度ストレスのかかった、慌ただしい環境からの逃避として読んだので、私にとってのディヴァインは「落ち着きを得るための常備菜」になったのでした。

     そんなディヴァインなので、新刊が出るたびに大事に読み、折を見て再読や昔の未読作をつぶしてゆっくり読んでいたのですが、今回の新刊『運命の証人』は、ちょうど心を落ち着けたい時期に発売したので、すぐに読むことにしました。

    ●新刊『運命の証人』について

    『運命の証人』は四部構成の法廷ものとなっています。刊行予告を見て、「法廷もの!?」とまず私はひっくり返りました。ディヴァインはとにかくドメスティック寄りに話を展開したがる作家です。家族や恋人、友人、同僚。半分身内のような人々の中で「思い込み」を丹念に描くことが、犯人特定の驚きにも、主人公のドラマの面白さにも繋がっています。

     つまり、例えば警察の人間を視点人物にして、外部からその身内サークルを描くことはやや不得手、という印象があったのです。その弱点を自覚しているのか、警官自体をその半身内の中に含めてしまったり、容疑者の一人とメロドラマを演じさせて「思い込み」の中に取り込んでしまったりします。とはいえ、法廷ものではそうした「外部の人間」が何人もいるはずだし……と、私はどんな作品に仕上がっているか、期待半分、不安半分で待っていました。

     ところが、読み始めてすぐ、その不安は氷解したのです。確かに冒頭で法廷シーンが描かれ、「二人の人物が殺されたこと」「主人公が被告人であること」という二つのショッキングな事実が明かされますが、明らかにディヴァインの関心は、法廷シーンそのものを描くことにはありません(褒めているんですよ!)。形式的なセリフは大胆に端折り(もちろん、被害者の名前を隠す『被害者を探せ!』的な趣向もあるのでしょう)、即座に、主人公の視点から回想を描いていきます。

     きた! と私は膝を叩きました。これぞディヴァインお得意の、半身内関係を利用した濃密な人間関係の書きっぷりなのです。友人とその恋人との三角関係、二人の女性の間での板挟み、友人の父親や周囲の人々の反応……特に主人公の行動にはヤキモキさせられっぱなしで、第一部に展開した人間関係をさらに押し進める第二部に入ると、さらにこのヤキモキは高まっていきます。こういう「ヤキモキ」に耐えられない、という向きもあるかもしれませんが、ある意味ベッタベタなロマンスや過ちを楽しみながら、犯人に繋がるものを探そうと目を皿にするのも、ディヴァインを読む楽しみというわけです。

     さて、しかし、本書は法廷ミステリです。先述した「外部の人間」の視点の問題はどうなるのでしょうか。中盤以降、法廷シーンをじっくりと描き、読者にも既に顔なじみになった各登場人物たちが次々現れて証言を行います。その時、私は先述の不安が思い過ごしだったことを痛感しました。そうなのです、半身内サークルの「中」の視点だけでは描き切れない、彼らが「中」の人間に見せる顔と「外」の人間に見せる顔の微妙な違い。これを描き出すために、ディヴァインはあえて「法廷ミステリ」のフォーマットを用いたのではないか。だからこそ、あの手掛かりを埋め込むことも出来たし、法廷シーンで訪れる、「ある瞬間」は感動的でさえあるのです。

     三人称一視点である理由もそこにあります。ディヴァインは『こわされた少年』以降、三人称多視点を多用し、複数のカメラ・アイの死角を突くようなフーダニットを作ってきましたが(こういう特徴もアン・クリーヴスと似ています)、今回はあえて一視点を採用しました。おかげで視野の狭さが生まれており、犯人に仕立て上げられた主人公が誰をどこまで信じていいのか一切分からない、孤立無援の状態が出来上がっているのです。

     ……とまあ、こんなことを考えながら読んでしまいましたし、全十三作中、読むのは十二冊目。さすがにこちらも手の内は分かっていて、手掛かり・犯人含めて今作も完答出来てしまいましたが(もちろん全作当ててるわけじゃないですよ)、もうそんなのはどうでもよく、ただただこの地味な法廷ミステリを楽しんだ、ベタベタなメロドラマを味わった。それに尽きるのです。

     これぞ、私の常備菜。ありがとうD・M・ディヴァイン。

    ●おまけ

     せっかく十三作品のうち十二作も訳されて読んでいるのですから、ここらで刊行年順に作品を振り返ってみようと思いました。ネタバレなしでザクっとコメントもつけますので、未読の方も参考になればと。
     タイトルの前には通常「〇」をつけていますが、「◎」がついている作品は、特にオススメ、という意味です。

    〇『兄の殺人者』(1961)
     クリスティーに絶賛されたデビュー作。一人称視点で殺人事件と兄の隠された秘密を探っていく話で、ディヴァイン独特のゆったりとしたテンポはすでに確立しています。シンプルなトリックを用いて、構成と伏線で見せる作品です。自分の最初のディヴァインだったのであまり悪く言えない。

    〇『そして医師も死す』(1962)
     二か月前に死んだ共同経営者の死は、実は殺人だったのではないか? 一行目からグッと心を掴む書き出しもグッドな二作目で、既に医師やその妻、市長の妙にイヤ~な人間関係を描く筆が冴えてきています。
     今回のフーダニットは「驚いたもん勝ち」で、取っ掛かりは面白い。ディヴァインはこの後、三人称多視点を導入してカメラ・アイを増やし、死角を作ろうとしていきますが、これは一人称の視野の狭さを利用した作品とも言えるのかも。

    ◎『ロイストン事件』(1964、現代教養文庫、絶版)
     これは正直、凄いと思う。
    父親の実家で見つけた、自分に何かを伝えようとした手紙の書き損じ。「きわめて重大なことがわかった。おまえの義弟は……」。父は「ロイストン事件」の再調査中に、亡くなったのだ。主人公は弁護士として、「ロイストン事件」の渦中に義弟を告発しており、それが実家とのしこりの原因ともなっていた。父の身に一体何が、そして、あの事件の真相とは?
    「ある事件」をきっかけに引き裂かれてしまった家族と、その事件のせいで結ばれてしまった人々。ディヴァインの描く濃密な「小サークル」の題材として、これほど強烈で、嫌なものがあるだろうか? 家族の確執はディヴァインお得意のテーマですが、これほど苛烈なのも珍しいというくらい。
     はっきり言って謎解き面はあざとい部分はあるけれども、もっと読まれてほしい一冊。創元推理文庫に入れてほしいし、入れる時には、出来れば真田啓介解説も入れてほしい……。

    〇『こわされた少年』(1965、現代教養文庫、絶版)
     ここで初めて、三人称多視点を採用。しかし、五つのパートに分かれ、それぞれのパートを消えた少年の姉と、警部とが交互に受け持つ形となっているので、非常に読みやすい。
     とはいえ先に述べた通り、ディヴァインは「中」から「中」の人間を書くから面白いのであって、「外」から覗かせても……と思いきや、なんとディヴァインはいつもの手癖で、この姉と警部が惹かれ合うという書き方をし始める。そうきたか、と思わず笑わされました。
     真相はやや強引なんですが、この小説はとにかく「過程」が面白い。少年が一人、失踪したという発端を受け、警部が聞き込みを始めた段階でも少しずつ見えるものが変わって来て、中盤からは何度もひねっていく。新たなスタイルに挑んだ力作です。

    ◎『悪魔はすぐそこに』(1966)
     D・M・ディヴァインの最高傑作。何せ、創元推理文庫に10冊もディヴァインが入ったのも、第一打の『悪魔をすぐそこに』のホームランのゆえでしょうから。
     これにはもう、異論はありません。三人称多視点記述をものにしたディヴァインが、いよいよキビキビと視点を変え、大学の教授やその身内たちの、絶妙に嫌~な人間模様を描き出し、そこに巧妙な技巧を忍ばせる。ディヴァインは犯人当ての手掛かりがシンプルであるがゆえに、再読するとやや評価が減じる作品も多いのですが、『悪魔はすぐそこに』は何度読んでも下がらない、むしろ上がっていきます。
     これはあまり指摘されていませんが、『悪魔~』の衝撃は、何作かディヴァインを通った後の方が大きいのではないか、と思っています。私自身がそうだったからですが、ともあれ、最高傑作であることは間違いないので、参考意見として受け止めてください。

    ◎『五番目のコード』(1967年)
     もう、ノリにノッちゃってるわけです。
     6作目にして挑んだのは「連続絞殺魔」。ディヴァインが遂に連続殺人を!? しかも「殺人者の告白」を冒頭に置いて、「八人がわたしの手にかかって死ぬだろう」と宣言! いいぞ!
     ということで、地方都市で暗躍する殺人鬼と、自らも疑われながら犯人を追いかける記者の奮闘が読ませます。殺人者による独白まで挿入され、ディヴァインにしては珍しくケレン味たっぷり。ぐいぐい読むことが出来るので、初ディヴァインにもおすすめの一作と言えるでしょう。
     連続殺人周りの謎解きはもちろん、フーダニットの意外性・伏線も十分。サスペンスと謎解きのバランスが取れた傑作です。
     なお、作中でクリスティー『ABC殺人事件』のネタが容赦なくバラされます。未読かつネタを知らないという幸福な人がいたら、すぐに『ABC殺人事件』も読むのです。

    〇『運命の証人』(1968年)
     今回の新刊。人称の変化を並べてみると、『こわされた少年』から三作連続で三人称多視点を試した後、ここで三人称一視点を試みているのが分かります。ある意味実験作とも言えるかもしれません。

    〇Death Is My Bridgeroom(1969年)
     未訳。原書も持っていません。お待ちしております……。

    〇『紙片は告発する』(1970年)
     町長選挙をめぐって揺れる村で、タイピストが殺された。彼女は仕事中に見つけた紙片のことについて、誰かに話していたらしい。一体そこには、何が書かれていたのか?
     地方都市、選挙という取り合わせがディヴァインお得意に見えるのは、後年の『跡形なく沈む』の印象が強いからでしょうか(『跡形~』が2013年邦訳、『紙片~』が2017年邦訳)。
     謎解きはそれなりで(ヒントの示し方が煽りすぎてしまっています)、全体から考えると間違いなく水準作なのですが、ますます落ち着きをたたえたディヴァインの筋運びに心地よさを感じてしまいます。

    ◎『災厄の紳士』(1971年)
     ロジック面で見た時の、ディヴァインの最高傑作。
     ディヴァインが示す犯人当ての手掛かり、根拠というのは、いわゆる「疑いを抱くキッカケ」「些細だが見過ごせない矛盾」といった性質のものです。犯人登場からわずか10~20ページで物語が終わるのも、謎解きパートの指摘がシンプルであるがゆえです。鮮やかで緻密な伏線に支えられ、それまでの人物描写も丹念なため、納得させられますが、堅固な論理でこの人でしかあり得ない、と特定するものではありません。
     しかし、『災厄の紳士』は違います。堂々と書かれているのに気づかなかった手掛かりによって、バシッと犯人が決まってしまうのです。例えて言うならエラリー・クイーンの『エジプト十字架の謎』の……それはちょっと、褒めすぎかもしれませんが。
     結婚詐欺を題材にしたコンゲーム風に書かれた前半(やや書きなれていないのはご愛敬ですが、それでも、ロマンス風に楽しめます)と、ある事件を経た後の後半に分かれ、巧みな二部構成も光る作品です。オススメ。

    〇『三本の緑の小壜』(1972年)
     ディヴァインが13歳の少女の一人称を書いた作品で、彼女を含めた一人称多視点の小説になっています。初期の特徴であった「一人称」と、『こわされた少年』『運命の証人』などに顕著な「第何部」構成との組み合わせは、ある意味回帰とも言えるかもしれません。
     私はすぐに犯人が分かってしまったのですが、それだけに、周到に配置された作品であることも分かります。私が特に好きなのは、中盤で、ある手掛かりから容疑者の枠が確定するところ。推理、検討から、「あの時あの場所、あそこに居合わせた人たちの中に犯人が……?」と判明するパートは、思わずゾクッとするような寒気に満ちています。

    ◎『跡形なく沈む』(1978年)
     前作からかなり間が空いています。死後に発表され、書いた時期は初期にあたるのではと推測される『ウォリス家の殺人』を除けば、事実上の最終作と言えるでしょう。
     数年前の市議会議員選挙を巡る秘密、それを探ろうとし周囲を混乱に追い込むタイピスト、惹かれあう二人、その背後にまた現れる選挙のこと、そして殺人。これまでのディヴァイン作品の要素を片端から集めてきたような作品で、しかし、これがやたらと落ち着くんですね。「実家のような安心感」というやつです。この作品に「◎」をつけたのは、正直そのあたりが大きいです。
     この作品は手掛かりと、犯人のラストシーンがとても印象的です。実にいい余韻が残るシーンなのです。

    〇『ウォリス家の殺人』(1981年)
     最後の最後、これぞ王道と言える「家」もの。まさにクリスティー、と言いたいところですが、語り手のモーリスにあまり惹かれないのが玉に瑕です。
     高校生の初読時は、作中に配置されたある偶然の使い方が気になり、評価が低かったのですが、再読してみると着眼点が非常に面白いと思いました。
     今『ウォリス家』を読み返すと面白いのが、訳者・中村有希による、「ディヴァイン邦訳戦略」のあらましです。一定のパターン、お約束のネタが多いディヴァインの作品を、似ている作品の邦訳時期はずらし、マニア好みのものは先にして、という工夫。今こうして本国での刊行順に並べてみて、創元推理文庫での刊行順を考えてみると、その「戦略」が窺えます。

     というわけで、今回のディヴァイン新刊も楽しみました。次にゆったりしたいときは、積んでいるP・D・ジェイムズを何か崩そうかな……。

    (2021年6月)



第15回2021.05.28
命を削る雪中行 ~突発企画・ノンフィクションが読みたい!~

  • ベア・ウースマ、書影


    ベア・ウースマ
    『北極探検隊の謎を追って:
    人類で初めて気球で北極点
    を目指した探検隊はなぜ
    生還できなかったのか』
    (青土社)

  •  5月は解説を二本書かせていただきました。綾辻行人(以下、敬称略)『暗闇の囁き〈新装改訂版〉』(講談社文庫)と西澤保彦『パズラー 謎と論理のエンタテインメント』(創元推理文庫)の2冊。どちらも、綾辻作品、西澤作品の中でベスト級に好きな作品です。中学生の時から大好きなお二方を前にして、ただでさえ緊張しながら書いたのですが、さらに併録される旧版解説(『パズラー』は集英社文庫版解説)は巽昌章という、この凄まじいプレッシャー。担当編集には「Wタツミ解説ですね」とメールで言われましたが、私は完全にアワアワしてました……。

     巽昌章の名は私にとってはお二方と並ぶぐらいとても特別で、『論理の蜘蛛の巣の中で』は私のバイブルですし、巽解説をひたすら集めていた時期があったり、短編や長編『森の奥の祝祭』を読んで「傑作だ」と大学サークル内で騒ぎまくったり……なのでプレッシャーには感じましたが、綾辻作品、西澤作品を数多く再読して見つめ直すことが出来て、貴重な時間を過ごせた気がします。

     とはいえ……疲れたのも事実。解説の荷を下ろすと、私の中に猛烈に、湧き上がってきた感情がありました。

     ――ノンフィクションが読みたい!

     事実は小説より奇なり、などという月並みな文句は嫌いですが、時折どうしようもなくノンフィクションが読みたくなります。ミステリー仕立てなら、なおのこと良い。あくまでも現実に起きたことである、という事実そのものの重みをしっかりと受け止めつつ、スリルも奥行きも味わえるような、そんな体験をしたくなります。そう思い立った時は、大型書店のノンフィクション本コーナーに行き、興味を惹かれる本を片端から見てみるのです。

     そこで今月はベア・ウースマ『北極探検隊の謎を追って』(青土社)を手に取ってみました。「人類で初めて気球で北極点を目指した探検隊はなぜ生還できなかったか」という長いサブタイトルがついており、そのものずばり、北極探検隊三人の死因を巡るノンフィクションになっています。

     極地探検隊、アンドレー探検隊は、気球に乗って北極点を目指した。サロモン・アウグスト・アンドレ―、ニルス・ストリンドベリ、クヌート・フレンケルは、1897年10月5日、クヴィト島に上陸した。四か月以上にわたる雪中行の最後だった。探検隊の一人が書いた日記は、10月8日の記述を最後に途絶え、後には三人の死体だけが遺された。一体、彼らは何が原因で死んだのか。本書は、300ページかけて、ただそれだけを解き明かす作品だ。

     ――とはいえ、答えは明白ではないか! 私も最初はそう思いました。低体温症でも凍死でも、細菌でも、ホッキョクグマを食べたというのでその寄生虫でも死に得る。ところが、本書の凄いところは、そうした主要な仮説の一切を、ほぼ冒頭の時点で全て退けてしまうことです。

     著者、ベア・ウースマは、自らもクヴィト島に行こうとします。三人が踏んだ地をその足で踏もうとするのです。あるいは、三人の日記を、そのまま掲載したりもします。何よりも大量の事実を集め、検証することで、この謎に挑もうとします。

     この日記は、なんと40ページをも占め、本書の白眉とも言えるパートでしょう。雪中行の過酷さが淡々と描かれ、体感温度の低さのデータを見るだけでも体の芯から震えあがってしまいます。そんな40ページのなかにも、きちんと手掛かりは書かれているのです。

     そうした「事実」を重視した姿勢の中に、ベア・ウースマは時折詩情と、狂おしいまでの熱情を覗かせます。例えば69ページ、突然1ページを使ってこんな表現が入ります。事実を基にした作品に、突然詩のページが挟まったような具合なのです。

     “三人の居場所をだれも知らない。
    体は影を落とさない。”

     なぜ三人に執着するのか、その感情をベア・ウースマ自身は「ラブストーリー」という言葉で表現したりもします。その熱情もまた、この作品の求心力になっているのです。

     さて、最後には謎はきちんと解かれます。現場周辺の見取り図を作製するパートだけでも興奮するのですが、ある物証の写真をじっくり見た瞬間、目の前に存在していながら、たどり着けなかった答えを見つけるような感覚は無類でした。とはいえ、「誰かその説を思いつかなかったのか」とは思わなくもないのですが、納得させられるほどの迫力が、本書にはありました。

     ということで、『北極探検隊の謎を追って』は、無類の謎と熱情に導かれた、実に面白いノンフィクションでした。オススメ。

     今月はもう一冊、亜紀書房から出たスザンナ・キャラハン『なりすまし 正気と狂気を揺るがす、精神病院潜入実験』もかなり面白いノンフィクションでした。詐病によって精神病院に潜入したローゼンハンという男を巡る作品ですが、精神医学上有名だというこの論文に対して、著者が取るアプローチが面白いというか、「そっちの方向から検証するのか!」という面白さがありました。これもまた、併せて勧めたい一冊です。

    (2021年5月)



第14回2021.05.14
ディック・フランシス「不完全」攻略 ~年に一度のお楽しみ~

  • ディック・フランシス、書影


    ディック・フランシス
    『出走』
    (早川書房電子書籍)

  • ◎結論

     私と同じ年代で、「ディック・フランシスの名前くらいは知っているが、あまり読んでこなかった」という人にぜひおすすめしたい作品は、以下の順番です。カッコ内に示したのは、原書の初出年、フランシスの作品順では何番目にあたるかと、主人公の種別(騎手・非騎手)です。

    ①『出走』(1998年、短編集)
    ②『利腕』(1979年、第18作、元騎手、現在調査員)
    ③『証拠』(1984年、第23作、非騎手=ワイン商)
    ④『度胸』(1964年、第2作、騎手)
    ⑤『血統』(1967年、第6作、非騎手=諜報員)
    ⑥『名門』(1982年、第21作、非騎手=銀行員)
    ⑦『横断』(1988年、第27作、非騎手=保安員)
    ⑧『本命』(1962年、第1作、騎手)
    ⑨『大穴』(1965年、第4作、元騎手)
    ⑩『黄金』(1987年、第26作、騎手)
    別格 『女王陛下の騎手』(1957年、自伝)

    ◎総論

     ディック・フランシスは何を読めばいいですか?
     私はこの質問を年上のミステリ読みに何度となくぶつけてきました。フランシスは2010年に逝去、その時私はまだ高校生でした。すでに、息子との合作も含めて44作品の著作が出揃っており、作品を読もうにも、どう追いかけていいか分からない状態でした。唯一の手掛かりは『東西ミステリーベスト100』に『興奮』『利腕』がランクインしていること。
     初めてのフランシス体験は、中学三年生の時に読んだ『興奮』でした。そして、恥を忍んで告白すれば、私はその時、面白さがまるで分からなかったのです。馬が虐待される描写ばかりが胸に残ってしまい、モヤモヤしながら読み終えることに。
     だが、これだけ高い評価なのだ。何か理由があるに違いない。そう思った私は、とにかく年上のミステリ読みに聞きました。「ディック・フランシスは何を読めばいいですか?」。答えはいつも同じでした。『興奮』と『利腕』。他の情報はまるで上がってこない。なにが始末に悪いって、たまにそれ以外の作品の情報が上がってきて、えっ、ちょっと待ってくださいよとメモを取っても、どれもこれも二文字タイトルなので、古本屋の棚の前に行った時には、ハテどれを勧められたのやら、と首をかしげてしまうのです。
     そんなわけで、冒頭に「結論」と題して、私のおすすめしたいタイトルについて並べさせていただいた。これなら、古本屋で探している時、「そういえば、阿津川という作家がネットに書いていたな」と思い出してもらえれば、すぐ参照してもらえるだろうと思ってのことです。

     今回、ディック・フランシスをまとめ読みしてみようと思い立って、一か月強で読めたのは二十冊でした。全体からすると半分にあたる。その中から、勧めたい作品が既に十作+一作挙がったのだから、これはもう、実は大変なことです。いやいや、面白いじゃないですか、ディック・フランシス。
     しかも一番びっくりさせられたのは、原書の初出年一覧を確認した時です。一年に一冊、出しているのです。デビュー作『本命』(1962年)から第二作『度胸』(1964年)の間には2年の期間があるが、それ以外は年一ペースで、1965年の『興奮』『大穴』のように2冊出している年さえある。2000年の『勝利』から2006年の『再起』までの間は空いていますが、それまでは年に一冊とにかく出ているということです。
    『ディック・フランシス読本』に収録された、来日記念講演の箇所にも、「だいたい秋に次の小説の筋を練ります。そのためには、かなり調査をしなければなりません」と述べられています。一年ごとに調査・取材する対象を変えて、ルーティーンを守って刊行し続けてきた、その姿勢が窺えます
     邦訳もほぼそれに近いペースで、ハヤカワポケットミステリから、ハヤカワ・ミステリ文庫から、ハードカバーから、とにかく何かしらの形でほぼ年に一回のペースで訳されています。初邦訳の『興奮』は1967年10月31日発行で、『大穴』は同年の11月15日発行というデータを見るにつけ、「おいおい、一体どんなペースだよ」と驚かされます(訳者の菊池光は、同じ年にギャビン・ライアル2冊とジョン・ボール1冊を訳しているので、このペースも驚き)。
     この「一年一冊」という事実には、もう一つ感じたことがあるのですが……それは本筋ではないので、本稿の末尾で触れることにしましょう。
     さて、今回、私がオススメ作品を選んだポイントは以下のとおり。

    ① 「謎」の魅力
     後続の立場から追いかける身として、やはりストーリー上の大きな魅力である「謎」自体の魅力は重視しました。ここでいう「謎」とは、密室とかアリバイとかそういう話ではなく、「自分の周囲で、悪意が蠢き、自分の思惑を超えた何かとんでもない事態が進行している」というゾクゾクとした恐怖のことを意味する。こうした意味での「謎」作りが、ディック・フランシスは病的に巧みなのです。具体的に、どういう謎があるのか。それはこの後、各作品の紹介にて触れていきます。

    ② その「謎」を起点にした中盤の展開
     なんだか江戸川乱歩の「中段のサスペンス」みたいな話になってきましたが、要するに、そういうことです。「謎」の転がし方が巧かどうか、サスペンスに満ちているか、を重視してみました。

    ③ 登場人物の魅力
     これは正直、あえて論じるまでもなく、実はフランシスは毎回満点級です。ただ、作品によっては少し違った陰影の視点人物を入れることで雰囲気を変えていることもあるので、そこにも注目していきたい。

     こんなポイントを参照しながら、以下、各作品の紹介をします。

    〇各論

    ①『出走』(1989年、短編集)
    “話を聞かせてくれ、それも力強く、速く。
     面白い寝物語を聞かせてくれ。血まみれの死体がなく、ぞっとするような出来事がなく、絞首刑後、はらわたを抜かれ、体を四つに裂かれた主人公のいない話を。” (同書、p.5)

     どうだ、この冒頭は。最高の短編集の序文でしょう。なんともゾクゾクするではないか。
     今これからフランシスを追いかけるなら、この短編集を外すことは出来ないのではないか? そう思わせるほど、粒よりの短編集です。小説家としてデビューして(自伝を入れず)36年目にして、初の、そして唯一の短編集。長いキャリアの中で一つずつ書かれた作品集は、まさしくフランシスの魅力のショーケースのように思えます。
     フランシスの作品は全て一人称小説で、そのどれもが作者自身を投影したものになっているのですが、『出走』では三人称記述や、悪党をメインに据えた作品があるのも印象的。長いキャリアの中で一編ずつ仕込んだという経緯からして、各編がフランシスの実験にもなっているのです。いつもヒーローを書いていたフランシスが、「正しくあろうとしても、そうできない人」を書いたことが、また一段フランシスの深化につながったとも取れます。
     さて、全13編、どれもユーモアとツイストに満ちた好短編ばかりで、中でも、人生の皮肉を悲喜こもごもに写し取っていく傑作「敗者ばかりの日」、フィニッシング・ストロークが見事な「悪夢」などが出色の出来。ぜひとも、おすすめの一作です。

    ②『利腕』(1979年、第18作、元騎手、現在調査員)
    (以下、☆印は各項目5個が満点)
    謎 ☆☆☆☆☆
    中盤☆☆☆☆☆
    人物☆☆☆☆☆

     これはもう、冒頭2ページ、「プロロゥグ」をまず読んでみてほしい。私は『利腕』を大学生で読んで以来、未だに、思い出したようにこの冒頭を読み返しに行って、密かに涙ぐんでしまうのです。それは騎手の夢、喪ってしまった男の夢、『利腕』が奪回すべきものを示した、美しい2ページです。
     これこそ、ディック・フランシスのマスターピース。確かに大ベタですが、大学生の私が読んで、「いつかフランシスをちゃんと読まなくては」と密かに思うきっかけになった本です。そして、今回二十作品読んだ中でも、やはり評価は揺るぎませんでした。
     次々とレース生命を絶たれていく本命馬たち、一体、何が起こっているのか? この謎自体が、フランシスが一番ベタに取り上げる謎であるのは事実ですが、これを隻腕の元騎手、シッド・ハレーが捜査することにより、無類の冒険小説の味を放っています。それはハレーのハンディキャップゆえに出てくる緊迫感でもあるでしょう。
     トラウマからの克服、というサブテーマも加え、これこそ隙のないエンターテイメント。北上次郎が『ディック・フランシス読本』で書いた「ディック・フランシスの30年」によれば、やはり『利腕』が出世作であり、長いスランプから抜け出した作品でもあるようですが、これで終わらなかったのが凄いことです。

    ③『証拠』(1984年、第23作、非騎手=ワイン商)
    謎 ☆☆☆☆
    中盤☆☆☆☆
    人物☆☆☆☆☆

     これも『出走』と同じく、魅力的な冒頭を引用してみましょう。

    “社会生活では苦しみを表に出す事は許されない。人は涙を見せない事になっている。特に一応人並みの容姿を具えた三十二歳の男は泣いてはならない。妻が亡くなって半年たち、周りの者すべての哀悼の念が消えて久しい場合はなおさらである。”(同書、p.7)
     ワイン商を主人公にした作品ですが、これも無類の面白さ。ワインのラベルを張り替えて、同じワインを違うワインとして売り出しているバー。これだけなら偽酒売りの話に過ぎないが、主人公にこのバーのうわさを持ち出した人物が馬車に轢かれ(そうやって馬が出てくんのかよ!)、事態は風雲急を告げる。
     ワインの世界に分け入っていく面白さだけでも十分に読ませるし、中盤にも事件が続発し飽きさせない。騎手が主人公だったり、競馬ががっつり絡んでくる話に抵抗感があるなら、こうした、非騎手が主人公の作品から入るのアリでしょう。何せ、『証拠』は、トラウマからの回復、という要素を取り出せば、『利腕』で確立したパターンの再生産でもあります。そういう意味でも完成されており、入りやすい。
     ところで、冒頭に掲げた一文は、実はフランシスが書く小説の主人公が共通して持つ信念の核なのではないでしょうか。男は、恐怖を感じていても、その恐怖を表に出す事は許されない。それを克服し、立ち向かい、危機に打ち勝っていく。そこがかっこいいし、何より共感を呼ぶのではないか。
     私が中学生の時『興奮』を読んで、面白さが分からなかったのは、この「社会生活では苦しみを表に出す事は許されない。人は涙を見せない事になっている」という感覚を、まだ肌で理解しきっていなかったからかもしれません。

    ④『度胸』(1964年、第2作、騎手)
    謎 ☆☆☆☆☆
    中盤☆☆☆☆
    人物☆☆☆☆

     新人気鋭の騎手が、28回連続最下位を取る。すげえ謎だ! この謎を読んだ時、正直、ぶっ飛んだ。あまりにも凄い悪意ではないか。どんなことをすればそんな事態が生み出せるのか、その見当すらつかないのだ。
    レースに出なければ食い扶持を稼げない、イギリスの競馬界のシビアな側面も描かれて、なんとも堂々とした充実ぶりを見せた二作目です。なんと冒頭に掲げた謎も、見事に解決する。あったのだ、トリックが。28回連続最下位を取らせるトリックが。しかもそれを仕掛けた犯人もちゃんといるのだ。その動機も常軌を逸している。フランシス作品の犯人は、金を動機とした人間は別として、結構常軌を逸している、というのが私の持論なのですが、『度胸』の犯人はその中でも頭一つ抜けているでしょう。

    ⑤『血統』(1967年、第6作、非騎手=諜報員)
    謎 ☆☆☆
    中盤☆☆☆☆
    人物☆☆☆☆☆

     スパイスリラー編です。これが結構面白い。輸送中の名馬が突然消える、という謎と、主人公たちがいきなり命を狙われるつかみで十分だが、他の「ゾクゾクする謎」に比べるとやや力不足の感は否めないか。今回特筆すべきは、手数の多さというか、中盤の「名馬奪還劇」の面白さでしょう。
     やや陰鬱なスパイを主人公に据えたことによって、ややグルーミーな読み味となっていることで、個人的には読みやすく感じた。とはいえ、たとえばネオ・ハードボイルドという感じではなく、上司の娘をあしらう描写などには、やっぱりマッチョなハードボイルド観が見え隠れします。全体としてはグルーミーですが。
     スパイ小説ならでは、組織と個人の相克の苦みも最後には立ち上ってきて、非常に楽しめる作品です。

    ⑥『名門』(1982年、第21作、非騎手=銀行員)
    謎 ☆☆☆☆☆
    中盤☆☆
    人物☆☆☆☆☆

     異色作にして問題作。ロンドンの名門銀行のバンカーを主人公にし、インテリをメインに据えていること自体が異色だし、銀行の投資信託を描くために、三年という長い時間軸の話が設定されているのも異色です。
     しかし、本書の凄みはそこではない。名馬の種付け事業に投資信託を行う、という筋なのだが、この種付けをした馬が一年後……奇形ばかりを生んだ、という謎なのです。
     この謎が立ち現れた瞬間、私はとにかくゾッとした。凄まじい悪意、あまりにも底知れない悪意である。しかもこれが見事に解けて、犯人までちゃんといるのだから恐れ入るではないか。
     銀行家の周辺を描くモジュラー式の書き方も、最後にはきちんと繋がり、ある意味では本格ミステリのベタな構図さえ立ち上がる。謎解き小説としては無類だし、恋愛小説としてもかなりナイーヴかつ甘く仕上がった快作です。ただ、謎の性質も特殊だし、異色作、取扱注意のもと読んでほしい。
     ちなみに、本書巻末の池上冬樹の解説では、『連闘』までの各作品の採点表までついていて、後続の立場からかなり参考になったことを付言しておきます。

    ⑦『横断』(1988年、第27作、非騎手=保安員)
    謎 ☆☆☆
    中盤☆☆☆☆
    人物☆☆☆

     やっぱり、フランシスが一年に一冊書いていたというのは、大きいのだと実感した作品。ミステリートレイン、カナダ横断鉄道。しかも馬主を満載して、カナダの競馬場を巡るという趣向なのです。その車に乗ったある男の悪巧みを暴くため、英国ジョッキイ・クラブ保安部員の主人公は列車に乗り込む。つまり、列車、競馬、スパイスリラー、ミステリ劇の四本立てです。豪華ではないですか。これが原書刊行年だと、後述する『黄金』という、古風ゆかしい犯人捜しものの翌年に出るのだから、そりゃあ、バリエーションの付け方に楽しくなってしまうでしょう。おまけに『横断』の翌年は、宝石業界を描いた『直線』という、またガラッと変わった題材なのです。
     列車に乗り込むまで100ページ近くかかるのが難点だが、終盤に、列車、馬主たちの人生、ミステリ劇の三本の筋がきっちりと重なり、意外な真相と結末がきちんと立ち上がるのは見事です。題材の圧倒的な楽しさも加味して、この位置につけたい。

    ⑧『本命』(1962年、第1作、騎手)
    謎 ☆☆☆☆
    中盤☆☆☆
    人物☆☆☆

    “熱した馬体のにおいと河からたちのぼる冷たい霧が入り混じって私の鼻をついた。聞こえるのは疾走する馬の足がシュッシュッと空を切り蹄が地面を蹴る音、それに時折蹄鉄がぶつかりあう鋭い音だけである。”(同書、p.5)

     これがフランシスのデビュー作の冒頭です。どうでしょう。馬上の騎手の息遣いまで聞こえ、臭いまで臭い立ってくるような描写ではないですか。それ以降の冒頭のユーモアセンスに比べると、まだまだ生硬な味わいがありますが、掴みはバッチリというものです。
     障害競馬の最中、騎手が死んだ。これは事故なのか? それとも……。これこそ、騎手にとって、騎手である過去を持つフランシスにとって、最も生々しく、しかも迫力ある謎というわけです。
     ということで、これはむしろ、王道のフーダニットと言える作品なのです。この面白さで300ページ台というのも本当に驚かされます。アラン・ヨーク自身の魅力は、それ以降の主人公たちに比べるとやや見劣りはするかもしれません。

    ⑨『大穴』(1965年、第4作、元騎手)
    謎 ☆☆☆
    中盤☆☆☆
    人物☆☆

    “射たれる日まではあまり気にいった仕事ではなかった。その仕事も自分の一命とともに危うく失うところであった。”(同書、p.5)

     フランシスの冒頭の掴みのうまさは、ぜひとも学ぶべきところでしょう。どれもこれも、グッと心を鷲掴みにされ、思わず続きを読みたくなる冒頭です。疑うのなら、古本屋でフランシスが並んだ棚の前に立ち、片っ端から冒頭だけを読んでみてください。
     ここに引用しなかった各作品の冒頭も、一行目から人が死んだり、掴みは見事です。
     さて、『大穴』は、『利腕』で名演を果たすシッド・ハレーの初登場作です。ハレーを狙撃したのは誰か、という謎で、ベタだがゾクゾクする謎である。ただ、シッド・ハレーというキャラについては、やはり『利腕』で再登場させるつもりが当初はなかったからか、ここではまだちょっと魅力が薄いようには思えます。
     ちなみに、シッド・ハレーはこの後『敵手』『再起』で登場し、それらもやはり面白いが、『再起』はややオマケ的な感じがします。

    ⑩『黄金』(1987年、第26作、騎手)
    謎 ☆☆☆☆
    中盤☆☆
    人物☆☆☆

    “私は父の五番目の妻を心底から嫌っていたが、殺すことを考えるほどではなかった。”(同書、p.7)

     フランシスのトリッキーな冒頭も、ここまでくると笑うしかない。ということで、本作は五回再婚した父を巡るサスペンスで、拡大家族の中の誰が殺人者なのか? という、いわゆる「クリスティー流のフーダニット」に仕上がっています。
     正直、中盤のサスペンスの部分でかなり見劣りするのだが、後半200ページ、今までろくに向き合ってこなかった家族一人一人を調べ、その人生を理解していく過程には面白さがある。意外な真相もなかなか。
     フランシスの作品の特徴の一つに「親子関係」があるが、明確に現れた作品でもあります。

    別格『女王陛下の騎手』(1957年、自伝)

     ディック・フランシスの騎手時代を綴った自伝。これまでにも触れた通り、フランシスの作品は全てフランシス自身を投影した一人称小説なので、実は、「フランシスその人を好きになること」がフランシスを読む最大のコツなのです。
     ということで、『女王陛下の騎手』を読み、その人生そのものに興味を持ってしまうというウルトラCもオススメです。

    〇蛇足

     ということで、ディック・フランシス、面白かった! ここまでに紹介したのは、後続の立場で、二十代の私が読んでも面白かった、というものなので、当時追いかけていた皆様とはずいぶん感じ方が違うかもしれません。とはいえ、誰かしらの参考になれば幸いです。

     で、ここまで考えてみて気が付いたのです。
     ディック・フランシスは、今の私でいう、ジェフリー・ディーヴァーや、「劇場版名探偵コナン」のような楽しみ方をされていたのではないか?
     ちょっとたとえが分かりにくいかもしれません。私は毎年、ディーヴァーの新作と「劇場版名探偵コナン」の新作は、発売日・公開日に鑑賞する、それが難しければ翌日には鑑賞することにしています。分かっています。ディーヴァーなら『コフィン・ダンサー』『ウォッチメイカー』やコナンなら『瞳の中の暗殺者』『天空の難破船』レベルの傑作がそうそう味わえるわけではないだろう、とは。見果てぬ夢を追いながら、それでも毎年、出たら読む/観るのです。「今年は面白いらしいから読もう」「今年は評判が悪いから金曜ロードショーでいいか」ではないのです。出たら、読む/観る。これは確定事項です。なぜならそれが習慣だからです。一年間に一度、ディーヴァーの新作を読み、劇場版コナンの新作を見ることは、なにものにも代えがたい楽しみだからです。
     それに、この「楽しみ」は、毎年恒例の幸せな時間をも約束してくれます。気の合った仲間たちと、ああでもない、こうでもないと、感想を言い合う時間です。「今年の『〇〇』はどうだった?」「いまいちだったね、去年の方が良かったよ」とか、よし、じゃあ一作目から順に評価を確認しようとか、毎年似たような話を、喫茶店にでも入ってだらだらするわけです。そうしているうちに、今年の作品と前の作品が思わぬ形で繋がって面白い考察が出来たり、むしろ前の作品の評価が下がってしまったり、そういう時間を過ごすのが何より楽しいのです。
     そりゃ、楽しいでしょう。こんなにユーモアとサスペンスにあふれた作品が毎年のように出て、「今年の『横断』はミステリートレインだったね」「珍しい題材だけど、やっぱり列車がピンチに陥る終盤のところはいいね」なんて、あーでもないこーでもないと話していたら、そりゃあ面白かろうと――
     まあ、そんなこんなでイマジナリーミス研での会話を妄想したのですが、「それでも、後の時代から振り返った時、ミステリマニアが後追いできる足掛かりは必要だろう」と思うのです。私も多分後二十年、三十年すると、「ディーヴァーは何を読めばいいって? ボーン、コフィン、ウォッチの三作で十分かな」などと言いだし、『石の猿』『クリスマス・プレゼント』『ブラック・スクリーム』『煽動者』『オクトーバー・リスト』を挙げることを忘れるようになるかもしれませんが、それだけに、どんなものでも蹄跡を残しておく必要があるのではないか、と。『オクトーバー・リスト』(文春文庫)に寄せた私の解説には、そんな思いも乗せていました。
     と、いうことで、現在進行形でディック・フランシスを追いかけていた人たちの熱量には多分もう追いつけないことを自覚しつつ、「今読んでも面白いフランシス」を指針として残しておこう、というのがこの文章の狙いでした。
     残り半分の作品については、いつか読んで、この記事の「不完全攻略」から「不」が取れる日が来ると良いのですが。
     いやそれにしても、「一年に一冊必ず新作が出る」とは、やはりエンターテイメントにおいて一番大事なことじゃないでしょうか? フランシスもディーヴァーも「劇場版名探偵コナン」もそこが偉い……ちょっと待て、こう締めくくると、自分の首を絞めることにならないか?

    (2021年5月)



第13回2021.04.23
心を見つめる警察小説

  • ヨルン・リーエル・ホルスト、書影


    ヨルン・リーエル・ホルスト
    『警部ヴィスティング 鍵穴』
    (小学館文庫)

  •  私の好きな刑事といったら、なんといっても大沢在昌の新宿鮫、誉田哲也の姫川玲子、ヒラリー・ウォーの諸作、マイ・シューヴァル、ペール・ヴァールーらのマルティン・ベック、そして今現在進行形で月に一冊ずつ読んでいるヘニング・マンケルのクルト・ヴァランター、ユーモアも入れればフロスト警部とドーヴァー警部、路線は本格寄りですが、P・D・ジェイムズのアダム・ダルグリッシュやアン・クリーヴスのジミー・ペレスも……。

     と、キリがないのですが、最近このリストに加わった大好きな警察小説シリーズがあります。この読書日記でも取り上げた、ジョゼフ・ノックスのエイダン・ウェイツ・シリーズ(第1回)、エイドリアン・マッキンティのショーン・ダフィ・シリーズ(第3回)、そして、ヨルン・リーエル・ホルストが描く警部ヴィスティング・シリーズです。

     そこで、今月の2冊目は、ホルストの新刊『警部ヴィスティング 鍵穴』(小学館文庫)を取り上げましょう。なんとも不思議な魅力をたたえたシリーズなのです。

     ヴィスティングの印象というのは、上に列挙した刑事たちの中では、ダルグリッシュやペレスの印象に近いでしょう。事件を静かに眼差しながら、その本質を捉えようとする。その静かさが、このシリーズの捜査の魅力を形作っています。

     ホルストがノルウェーの作家であることを考えると、北欧の作家という点ではむしろマルティン・ベックやクルト・ヴァランターに近いのかと思えば、そうではない。それは恐らく、警部ヴィスティング・シリーズに、どこか時代から遊離したような感覚があるからではないでしょうか。ベックとヴァランターは、現在進行形の事件、しかも人身売買や大量殺人、年金暮らしの孤独な生活者など、現代の社会問題が絡んだ事件にがっぷり四つで取り組んでいく。その中で刑事自身も傷つきながら、捜査というドラマを見せてくれる。

     一方で、これまでに邦訳されたホルストの小説は、いずれも話のベクトルが過去に向いています。『猟犬』(早川書房)は、ヴィスティングが解決した17年前の誘拐殺人事件で採用された証拠が捏造されたものだったのではないか、という疑惑を巡る物語ですし、『警部ヴィスティング カタリーナ・コード』(小学館文庫)は24年前の失踪事件を静かに解き明かしていく作品です。時間は世界にも人々にも堆積しており、ヴィスティングはその中に静かに分け入って、真実を見つけ出そうとする。マルティン・ベックやヴァランターが抉る社会問題は時代を経てもなお鮮烈ですが、ヴィスティングはまた別の意味で、違う時代にも読まれ続けていくような気がするのです。何か普遍的なもの――「人の心のありよう」を見つめようとする、その眼差しに惹かれるからでしょうか。

     警部ヴィスティングには捜査チームの他に、娘のリーネという頼れる相棒がいます。彼女はタブロイド紙の記者で、『猟犬』『カタリーナ・コード』では、警部と記者、父と娘のそれぞれの立場から情報を集め、必要な時に情報の交換を行う姿勢が描かれていました。いわば警部が「静」なら、リーネのパートは「動」を担当していたわけです。『カタリーナ・コード』などは、失踪した女性の夫であるマッティンとヴィスティングとが友人になっていて、ヴィスティングは彼との対話から何かを見いだそうとし続けますし、後半150ページは、犯人と目される人物と延々と会話をし続ける(!)のです。リーネのパートがあるから動きはありますが、そうでなければ恐ろしいほど動きのない小説です。京極夏彦の京極堂シリーズで、京極堂の店で京極堂の話を聞いている時くらい動きがない。だけどそれがいいのです。

     たとえて言うなら、夜にストーブをつけ、ホットコーヒーを飲みながら、穏やかな心でページを開くと、ミステリを読むということの幸福を静かに味わえるような本なのです。

     と、こんな具合にシリーズを概観したところで、『鍵穴』の話を。今までの邦訳二作品の主役がヴィスティングだとするなら、今回はリーネにスポットが当たった話だと言っても過言ではないでしょう。つまり、本作は「動」の印象が強いのです。

     今回の事件は、大物政治家が遺した大金の謎を追うことから始まります。不正献金か、裏金か。ヴィスティングは秘密裏の捜査を開始しますが、大金を政治家の倉庫から移した直後、その倉庫が放火される。ここで事件は一気にきな臭くなり、政治家の周辺で起きていた未解決の失踪事案を巻き込んで更なる展開を見せていく……。

     次から次へと事件が掘り出され、繋がりが明らかになり、加速度的に事件が広がっていく捜査小説の面白さ。謎の侵入者など、リーネの身に迫る危険まで描きつつサスペンスを高める手法。これまでの『猟犬』『カタリーナ・コード』と比べると、文体や静かさの魅力は共通しながらも、よりエンタメ寄りのプレゼンになっていると言えるでしょう。作中何度も「鍵穴」「ジグソーパズル」の比喩が登場しますが、まさにジグソーパズルの印象に近い一作です。パーツが増えていき、それを合わせていきながら、ぴたりとはまる最後の「鍵」を探す物語なのです。

     しかし、作中で実にさらりと描かれた、「政治家が大金を手にした理由」がまた良い。時の中に埋もれた思いに手を伸ばした感覚がたまりません。

     ということで『鍵穴』も実に楽しく読みました。もしこのシリーズを初めて読まれるなら、いぶし銀の魅力がストレートに現れた『カタリーナ・コード』をオススメしておきますが、前作のネタバレなどはないので、『鍵穴』から読んでも問題なしです。

     小学館文庫では、『カタリーナ・コード』『鍵穴』に続いてあと二作を「未解決事件四部作(コールドケース・カルテット)」として引き続き刊行予定とのこと。くうう、たまりません。めちゃくちゃ待っています。

    (2021年4月)



第12回2021.04.09
「不安」を描く作家、恩田陸 ~人生を賭した「謎解き」~

  • 恩田 陸、書影


    恩田 陸
    『灰の劇場』
    (河出書房新社)

  •  作家特集のムック本というのは、やはり良いものです。インタビューやエッセイに触れるうち、その人の作品がますます読みたくなり、いつしか再読の海の中で溺れている。そう思わされたのは、『文藝別冊 恩田陸 白の劇場』(KAWADEムック)と、『夜想#山尾悠子』(ステュディオ・パラボリカ)の二冊を手に取ったゆえです。充実した本で、どちらも作者のファンは絶対に買い逃してはならないというレベル。

     ということで今月の1冊目は、恩田陸の『灰の劇場』(河出書房新社)です。先月の読書日記でも、二月刊行の作品としてさらっと名前を挙げたのですが、やはりどうしてもそれでは済まない気持ちになったので取り上げます。

     先述した、この本と同時発売のムック『白の劇場』を読んで、大森望と全作を概観したり、桐野夏生や小川洋子と対談しているのを読んだり、各評者のエッセイや評論を読んで触発され、中学・高校の頃にまとめ読みした恩田陸作品を、この二月・三月にひたすらに再読していたのです。まさしく三月の国。ともかく幸せな時間でした。もちろん青春小説やホラーも好きですが、特に好きなのは『ユージニア』(角川文庫)、『Q&A』(幻冬舎文庫)の二冊。この二冊だけは今回の機会がなくとも何度も読み返していて、あの世界に浸るのが好きなのです。

     それはなぜかといったら、あの二冊が「不安」を描いた作品だからだと思うのです。『Q&A』はショッピングセンターでの大量死事件を巡り、インタビュアーの質問とそれへの回答だけで構成された小説で、そこに描かれるのは、あの日、あの場所にいた人たちを襲った正体のない「不安」の姿です。これがもう、中学生の私には、どんなホラーよりも怖かった。とにかく心がざわついた。しばらくショッピングセンターには近寄れなかったほどです。

     そして『ユージニア』は名家の大量毒殺事件を巡り、14の章でかわるがわる関係者が登場し、それぞれの「真実」を語るという長編なのですが、事件のイメージや各登場人物の語りがもたらす「不安」はもちろんのこと、単行本版では本文がちょっと斜めに印刷してあって、それがとにかく「不安」を誘いました。見た目には普通に見えるのに、どこか感覚が揺らいでいく……。親が買っていた単行本版を読んだので、世代的には全く被らないのに、中学の時にそんな経験をし、未だに『ユージニア』のとりこなのです。『ユージニア』のオマージュ元であるヒラリー・ウォーの『この町の誰かが』(創元推理文庫)も、同じくオマージュを捧げたという宮部みゆきの『理由』(新潮文庫)も、擦り切れるほど読んでいます。

     それで、今回の新刊『灰の劇場』では、「事実に基づく物語」として、恩田陸が1994年に目にした三面記事を巡る物語が描かれます。45歳と44歳の女性が橋から飛び降りて死亡。二人は私立大学時代の同級生だったという。

     恩田陸自身がモデルと思われる語り手が、この三面記事を見た記憶をたどっていく「0」の章、彼女が「飛び降りた二人の女性」の視点を描く小説部分の「1」の章、その小説を舞台で上演する過程が描かれる「(1)」の章と三層構造の物語となっています。三層構造といえば、『中庭の出来事』(新潮文庫)も「三層」で構成され尽くした物語でした。何が現実だったのか宙づりにしてしまう『中庭の出来事』が、多視点の語りによって読者の拠って立つ足場をぐらつかせる『Q&A』『ユージニア』の先にある物語だったとするなら、『灰の劇場』はさらに一歩も二歩も上を行くものだと言えるのではないでしょうか。

     海外ノンフィクション風の読み味があるのも魅力の一つです。「0」の章においてミネット・ウォルターズの『養鶏場の殺人/火口ほくち箱』(創元推理文庫)を引き合いに出していますし、ローラン・ビネの『HHhH プラハ、1942』(東京創元社)について『白の劇場』での桐野夏生との対談で「やられた!」と思ったと口にしていますが、特に、『HHhH』と『灰の劇場』との類似には驚きます。 『HHhH』というのは、ビネ自身が『HHhH』というノンフィクションを書くまでを描く記述と、ナチスドイツを巡るノンフィクション的記述の部分が交互に登場し、やがてもつれあってしまう作品です。『灰の劇場』でも、作者自身を描く「0」と事件を描く「1」の交錯があり、「やられた!」と思うのも頷けるところです。

     ですが、結果としては全く違う傑作に仕上がっている、と言えると思います。大きな違いの一つが、「(1)」の章の重みです。作者自身の声である「0」だけでなく、その作者が一人の観客として「演じられた物語」に相対しなければならない「(1)」があることで、作者自身がこの「三面記事」の事件に相対する感覚が深まっていると思うのです。事件に向き合い、何かを見いだそうとするその姿勢に、私は深く感じ入ったのでした。

     そしてこの物語、特に「事実に基づく物語」である小説部分の「1」は、どうあっても自殺の瞬間に辿り着くという、そんな途方もない「不安」を描いた小説でもあります。作中の語り手が、亡くなった二人に、作者が自分たちの死を小説に仕立てることを「望んでません」と言葉をぶつけられるシーンもあります。書くことそのものが葛藤であり、不安である。そうして、この先には二人を死に追いやったある種の「絶望」がある。その感覚が私の心を飲み込み、『灰の劇場』という小説体験に、恩田陸自信をモデルにした語り手の声を聴くことに、二人の女性の人生を「生きる」ことに、どうしようもなく夢中になったのです。

     この「不安」は、現代に生きる人すべての「不安」をも包摂しているのでしょう。「事実に基づく物語」やそうした映画がもてはやされる風潮について述べた、印象的な一節があります。

     “彼らは、それほどまでに、本や映画に向かう理由を欲しているのだ。本や映画に一定の時間を割くのは、それだけ孤独を強いられるということでもある。それは、常に「リアル」な繋がりを感じていられる、SNS等の世間からいったん離脱しなければならないことを意味する。そこから離脱するだけの動機を保証してほしい。「リアル」な繋がりから、ほんの数時間だけでも離れたことを後悔するような失敗だけはしたくないのだ。”(『灰の劇場』、p.20-21)

     この言葉にどこか刺されるような感覚がありました。今の小説家が読まれるためには、ソーシャルゲームと戦わなければいけないなんて言葉を聞いたことがありますが、本当はその背後にある、もっと大きな何かと戦っているのかもしれない。そんなことを思いながら、また「不安」の中に叩き落され、しかし、その形のない「不安」になにがしかの名前と言葉を与えてくれる恩田陸の作品が、私はやはり、どうしようもなく愛おしいのです。

     ……さて、以下は蛇足ですが、実はこの三面記事、私もなぜか見たことがあるような記憶がありました。作中で何度も「棘」の比喩を使って、この飛び降り事件が心に刺さった棘だったと語り手は何度も述べますが、私にもなぜかこの棘が刺さっている。

     でも、そんなことはあり得ないのです。記事は1994年の9月25日に掲載。私はまだ生まれて3日しか経っていない時です。三面記事なので、どこかで見たり聞いたりした、ということも考えられません。なのになぜ、私にはこの記事の記憶があるのか……。

     実はこれも、『灰の劇場』を読んで囚われた不安の一つでした。その不安の影につきまとわれながら、恩田作品の再読を繰り返していると、答えがありました。『puzzle』(祥伝社文庫)の中の一節です。長いですが引用してみましょう。

     “「そういえば一つ思い出したよ。親父がミステリ・ファンだったから、新聞の隅っこに載ってる小さな記事から事件の真相を組み立てるゲームを家族でよくやったんだ。刷り込まれたせいか、今でも結構習慣になってる。で、いつ読んだ記事かは忘れたけど、とても印象に残ってる事件がある」
    「へえ、どんな?」
     志土は興味を覗かせた。
    「女の人二人が橋の上から身を投げて死んだという事件なんだけどね。自殺らしいんだけれど、なかなか身元が分からなかったんだそうだ。でも、暫く経ってから、近所のアパートに住んでいた女性二人だと分かった。二人は大学時代の同級生で、血の繋がりはなかったんだけれど、ずっと一緒に暮らしていたらしいんだな。二人は五十歳くらいだったと思う。遺書もなかった」“
    (『puzzle』、p.93)

     二人はこの後、「いろいろなストーリーが思い浮かぶ」と言って、望んで一緒に住んだのか、やむを得ずか、心中だったのか、過去の犯罪も絡んでいるのかなど取り留めもなく話した後、本筋である事件の検討に戻っていきます。『puzzle』の刊行は2000年ですから、この頃から、本当に恩田陸の中の「棘」になっていた事件だったのだと思い知らされました。1994年から、『灰の劇場』の連載を終了するまでの2020年、その26年間、恩田陸はこの謎を心のどこかに抱え続けてきたのです。

     これだけさりげなく出ていたのですから、実は私が知らなかっただけで、他の作品にも出ていたのかもしれませんし、恩田ファンの間では有名な話だったりするのでしょうか……?

     立て続けに再読した中でこのエピソードがふっと現れた時の感覚は、もう、衝撃というか、戦慄としか言いようがありませんでした。しかも、「(1)」の章の技巧というのは、『中庭の出来事』や、あるいは『猫と針』(新潮文庫)といった戯曲の作品を通ってきた恩田陸だからこそ書けた、と言うことも出来るかもしれません。だとすれば、恩田陸はこれまでの人生、そのすべてをもって、1994年9月25日のあの事件を解き明かしたとも言えるのではないか、と。

     私は『puzzle』を手にしたまま、暫く呆然としていました。小説を書くというのは、書き続けるというのは、これほど凄まじいことなのかと、恩田作品の前で立ち尽くしてしまったのでした。

    (2021年4月)



第11回2021.03.26
足元で口を開く暗黒の淵 ~分厚く、切れないエンターテイメント~

  • 佐藤究、書影


    佐藤究
    『テスカトリポカ』
    (角川書店)

  •  これが載るころには先月の話になっているのですが、2月の国内新刊の量がちょっとおかしかった(褒め言葉)。著作刊行70冊の節目にふさわしい傑作である恩田陸の『灰の劇場』と、それと連動した豪華なムック本『白の劇場』、柄刀一版〈国名シリーズ〉の長編にして論理の牙城を築いた『或るギリシア棺の謎』、待望の新作にして幕末に不可能犯罪の華を咲かせた雄編である伊吹亜門『雨と短銃』、充実の犯人当てアンソロジーである『あなたも名探偵』、デビュー作で類まれなミステリセンスを見せた著者がガチガチのロジックミステリを刊行した紙城境介『僕が答える君の謎解き』、ますます充実ぶりを発揮する人気シリーズ短編集である誉田哲也『オムニバス』、更には、私もコメントを寄せた呉勝浩『おれたちの歌をうたえ』は著者最高傑作とも言えるエンタテインメントで……多分、書き忘れているものもあるはずです。それくらい、冊数が多かった。幸福な時間でした。

     しかし、中でもぶっ飛んだ一作を紹介したいのです。佐藤究の『テスカトリポカ』(角川書店)がそれ。こいつはもう、ぶっ飛んだ(二回目)。年に何回か、角川書店から出る極厚の小説のあまりの面白さにタコ殴りにされてしまい、寝食も忘れて一気読みをしてしまうことがあるのですが、これはまさしくそんな本でした。

     耳慣れないタイトルですが、これはアステカ神話の神の名前です。ストーリーもメキシコに住む十七歳の少女・ルシアから始まりますが、なんと舞台は早々に日本の川崎に。時は経ち、彼女の息子であるコシモが生まれてから、物語は本格的に動き出します。

     川崎に住むコシモ少年に、一体どのようにアステカ神話の神が絡んでくるのか。読者の心配をよそに、佐藤究は自在に視点を飛ばし、メキシコの麻薬密売人とジャカルタの臓器ブローカーが手を組んだ「新たなビジネス」の話や、日本の保育園に勤める女性など、「事件」の渦中に飛び込んでいく人々を、ゆっくりと、焦らず、どこか突き放したような文体で精緻に描いていきます。さながら大木のような小説です。作者は一つ一つの枝葉をゆっくりと描き、また別の地点から枝葉を描き、最後にはどっしりとした幹が中心に現れている。その中心というのが本作では、アステカ神話の神と現代との「重ね合わせ」なのです。

     メキシコの麻薬カルテルということで、まず連想したのがドン・ウィンズロウの「犬の力シリーズ」。『犬の力』『ザ・カルテル』『ザ・ボーダー』では、大部の小説の中で、麻薬戦争に翻弄される人々や捜査官アート・ケラーと、麻薬カルテルとの戦いが描かれますが、何より胸に迫るのは、麻薬というものを前に、紙屑のように人間が消えていく、その怖さです。特に凄いのが『ザ・カルテル』で、好きになったキャラが次のページではあっさり殺されているなんてザラで、麻薬戦争を前にした人の命の軽さが残酷なまでに描かれます(だからこそ、そこからの解放と安らぎを描こうとする『ザ・ボーダー』の輝きも凄いのですが)。

     (前略)さまざまな形を取る資本主義の魔法陣のうちで、おそらくもっとも強力な魔法システムの図形である麻薬資本主義ドラッグ・キャピタリズム、(後略)(『テスカトリポカ』、p.152)

     人一人の命をあっさりと捧げてしまう現代の魔法と、古代の信仰の重ね合わせ。その取り合わせは意想外でありながら、同時にとても馴染んでいます。

     しかしこれは資本主義だけの物語では終わらない。これは同時に「信仰する者」の物語たり得ているのです。教義。太古の歴史。そして出し抜けに古代と現代の光景が重なってしまう時。そのイマジネーションの中で、現代の暴力が紡ぐ悪夢と、古代の神話が彩る祝祭が同時に立ち現れる。名シーンの数々が描かれる第Ⅳ章は圧巻の面白さでしょう。ミステリ的なネタバレでは一切ないことを前書きしたうえで書くと、私は第50節の会話の素晴らしさだけで、この本を生涯忘れないと思います。

     神話というと、なんだか難しそうと思われるかもしれませんが、必要な知識は全て作中で解説されていますし、一人の登場人物に感情移入して追いかけるだけでも、かなり充実した読書体験が約束される本です。クライム・ノベルとしても、幻想文学としても無類の本作。個人的には2021年ベストエンターテイメントに早くも推したい。

    (2021年3月)



第10回2021.03.12
海洋ミステリの見果てぬ夢 ~高橋泰邦が生み出した「名探偵」~

  • 高橋泰邦、書影


    高橋泰邦
    『偽りの晴れ間(上・下)』
    徳間文庫

  •  今月、文春文庫からジェフリー・ディーヴァーの新作『オクトーバー・リスト』が刊行され、私、阿津川辰海が「解説」を務めさせていただきました。ノンシリーズ長編、いきなり文庫での刊行になる本作の趣向は、「逆行する犯罪小説」というもの。第36章から2日間の出来事を遡っていき、最後、時系列ではいちばん最初にあたる「第1章」にかけて全てが解き明かされる凝った構成で、ディーヴァー作品で一、二を争う衝撃を味わうことが出来ます。本の構成要素もすべて逆順になっているので、本来なら「解説」になる私の文章も、「日本語版・序文」になっているという趣向。解説も知らず知らずのうちに気合が入り、「逆行する解説」をしたためてしまいました。ディーヴァーからしばらく離れていた方にも自信を持ってオススメできる逸品です。

     さて、今月の1冊目は高橋泰邦の『偽りの晴れ間』(講談社、文庫版は上下巻で徳間文庫にて刊行)をご紹介します。

     高橋泰邦といえば、今のミステリ読みからは翻訳家として名高い方でしょう。有名なのはアントニイ・バークリーの『毒入りチョコレート事件』(創元推理文庫)でしょうか。ハヤカワ文庫から刊行のホーンブロワー・シリーズや、アリステア・マクリーン『北極基地/潜航作戦』など、船舶が関わるミステリや海洋ミステリにも強かった人です。

     そんな高橋泰邦ですが、「翻訳家になりたくて小説を書き始めた」という異色の経歴の持ち主。しかし、余技と言い切るには惜しいほど、今読んでも面白い作品ばかりなのです。中でも、補佐人・大滝辰次郎という男を主人公にした一連の海洋ミステリ・シリーズは、海難審判を扱った法廷ものとしての魅力と、航海士たちの人間ドラマや海のサスペンスが調和した傑作揃い。補佐人というのは、海難審判の弁護士のことだと思ってもらうと良いです。

     大滝シリーズは全部で四作、うち三作は光文社文庫で刊行され、今でもKindleで購入できます。そこで、本稿の末尾で、その三作もあらすじや魅力を紹介させていただくとして、今はシリーズ第四作にあたる『偽りの晴れ間』の話をしましょう。

     1970年発表の本作は、1954年の実在の海難事故「洞爺丸事件」をテーマにした長編ミステリ。死者・行方不明者あわせて1155名にのぼる、この海難史上に残る事故に対し、船長たちの責を問う海難審判が始まる。とはいえ、船長は死亡しているため、矢面に立つのは二等航海士(セコンドフサー)だという一事をとっても、複雑な事件であるわけです。

     探偵役を務める大滝は、洞爺丸側の弁護士である「海事補佐人」としてこの事件に関わることになります。大滝はそれまでのシリーズ三作品では、もちろん架空の事件を解き明かしていたわけですが、本作は実在の事件に大滝を登場させていること自体が一つの驚きになっています。高橋泰邦は1962年にこれまた実在の事件である「南海丸沈没事件」を扱った『紀淡海峡の謎』というノンフィクション風の事件小説を出していますが、大滝は出ていません。ではなぜ、大滝は『偽りの晴れ間』に登場したのでしょうか。

     そこには、大滝がシリーズを通して言い続けてきた、ある信条が関連していると思います。彼は事あるごとに言います。「審判が海難の真因を究明することを目的とするとうたっているからには、“人間審判”でなければならぬ」「人間的な要素を無視して、何が真因か」(いずれも『偽りの晴れ間』講談社版、p.26)

     高橋泰邦の海洋ミステリは、全てのディティールを疎かにしません。船乗りが使う言葉一つとっても、船の部位の名前一つとっても、細心の注意を払って全てを余すところなく書きます。『黒潮の偽証』(光文社文庫)の解説にて、新保博久氏がこんなエピソードを紹介しています。かつて内藤陳氏が率いた日本冒険小説協会で、海洋部なるものを発足させたことがありました。その第二回会合のゲストに高橋泰邦氏が呼ばれたといいます。

     (……)一同酔余の果て、最近腹の立った本を一冊ずつ挙げる段になると、高橋氏は書名は伏せながら、ある海洋小説の翻訳が難しい個所をぜんぶ飛ばして訳しているのを非難した。「原文の難しいところほど、その小説のおいしい部分であるはずなんですよ」(『黒潮の偽証』解説より抜粋、p.280)

     まさに、この信念こそが、たった一つの言葉ですら疎かにしない高橋泰邦の迫力ある海洋ミステリを生み出した、と窺わせるエピソードである。そして、『偽りの晴れ間』では、対象が実在の事件であるがゆえに、高橋のこの信念は人間にまで及びます。洞爺丸の中から発見された死体の状況も、遺族が手をつけられないでいる遺体を、遺族と共に泣きながら湯かんしていた国鉄労組函館支部の婦人部長がいたことも、いきなり家族を奪われ、補償への道をただ一つのよすがに裁判を見守っていた遺族の姿も、彼は何一つ書き飛ばさず、誠実に、ただただ眼差していくのです。

     法廷ミステリ風に言えば、大滝を巡る状況はまさに四面楚歌です。全ての責任は、台風の大シケの中漕ぎだしていった、船長=国鉄側の重過失と考えられるのですから、そこを弁護する大滝は遺族から見ると「敵」です。大滝を睨みつける遺族の姿も、高橋泰邦はしっかりと細部まで描き切る。まさに「公正」な書きぶりです。世界に対して誠実で在るとは、なんと勇気のいることか。そのうえで大滝、いや高橋は、「洞爺丸事件」は人災だったのか、天災だったのか、という主題に立ち向かっていくのです。

     そこには幾つもの要因が絡んでいます。当時は船で経済が動いていたという事実も、一つの欠航から生まれる経済的損失の予測も、損失を恐れて会社側が出航させたのではという疑惑も、出航を決意させたと言われる「台風の目」の晴れ間の正体も、当時の気象予報技術も。複雑性の網の中で起きる事件を、公正に、ディティール豊かに書く。その一つ一つが、刊行から五十年以上経てもなお、圧倒的な熱として読者に伝わってきます。

     中でも、転覆の一つの要因とみられる地形の条件を確かめるべく、シケの海に乗り出していく大滝の姿を描いた中盤のシーンは、ミステリ的な一つの山場の意味でも、海洋冒険小説としての面白さという意味でも、屈指の名シーンでしょう。

    「それにしても、連絡船も出ないシケのなかへ、小船で出られますか?」
    「洞爺丸はもっとひどい海に出ていった」
    「だって、先生……、だから事故を……」
    「わたしはその洞爺丸の事故を調べとるんだ。机上の推論だけでは確信はもてない。確信のもてないことに説得力や訴求力はありえない!」
    (『偽りの晴れ間』講談社刊、p.127)

     大滝はこう喝破し、「悪魔の剣」と称する地形の特徴を論説しにかかる。そして助手にあたる鳥居という男を容赦なく引き回し、シケの海に小船で乗り出していくのである。まさに名探偵。それはすべて、船長に対するいわれなき𠮟責だけは退けたいという、彼の「人間審判」への情熱がなせるわざでしょう。

     もちろん、背景にあるのは実在の事件、実在の判決です。法廷論戦は丁丁発止で読ませますが、根本的にはアンチクライマックスな物語と言っていいでしょう。しかし、人災か天災かを巡る議論は、飛行機事故や製造物責任といったものに形を変えて、今なお何度も繰り返されているのではないでしょうか。だからこそ私も、生まれる前の事件の話で、馴染みのない海難審判の話であっても、これだけ読まされ、心を揺さぶられたのです。

     いや、実は『偽りの晴れ間』が大きく私の心を揺さぶった要因が、もう一つあります。それは中井英夫の『虚無への供物』です。『虚無への供物』では、連続殺人の中心となる「氷沼家」が洞爺丸の遺族として設定されており、それが重要な一要素になっています。私は結末部分で放たれるある言葉を、「洞爺丸事件」だけではなく、それ以後も繰り返されてきた多くの悲劇の名前に変えて受け止めていました。それだけに通時性のある言葉だと思っていたのですが、『偽りの晴れ間』を読んだことで、洞爺丸事件のことを知り、高橋泰邦が再現した出航前の「死闘四時間」を文字の力によって体験したことで、今ではより深く、あの言葉を理解できた気がします。今の私がそんなことを言ったところで、当時『虚無への供物』を読んだ読者に比べれば、程度の浅いものであることは、重々分かっています。それでも、氷沼蒼司の腕時計が、洞爺丸の沈んだ十時三十九分で止められているという、9章の描写の切なさは、『偽りの晴れ間』を読んだ後だとより一層感じることが出来ました。

     そんな個人的な体験も相まって、『偽りの晴れ間』は私の中で、大層大事な一冊になったのです。

     ……とはいえ、『偽りの晴れ間』は今となっては入手困難。そんなのおすすめされても読めないよ! と思われてしまうでしょう。だが、先ほども述べた通り、大滝シリーズの前三作は、電子書籍のKindleならすぐに読んでいただけます。しかも全部面白いのです。最後に、各作品の見どころを紹介させてください。

    〇『衝突針路』1961年、光文社文庫(Kindleあり)
     傑作。高橋の小説で何か一冊読むなら絶対にこれです。貨物船が衝突して事故を起こし、機関員は謎の死を遂げた。彼は殉死なのか、それとも他殺か? 事故の真相を巡る海難審判に、死の謎を絡めた無敵の法廷ミステリです。第一部で展開する、事故直前の船内の描写や、ボート漂流パートのサスペンスが既にたまらないですし、その中に巧妙に隠された伏線も見事。法廷論戦の楽しさも、本書が一番よく表れています。老獪な探偵役、ここにあり。

    〇『賭けられた船』1963年、光文社文庫(Kindleあり)
     サスペンスに注力した一作です。航海士の失踪と乗組員の謎の死。大滝の命を受けた一等航海士・紅林竜太は、単身船に乗り込み、そこで船を巡る悪意と対峙する。言ってみればスパイもの、潜入捜査の面白さもあって、船で事件に巻き込まれる紅林が、翻弄されながらも犯人を追い詰めるくだりが見事。ちなみに光文社文庫入りは一番これが早いのですが、やはり当時はサスペンス重視だったということでしょうか。

    〇『黒潮の偽証』1963年、光文社文庫(Kindleあり)
     東都ミステリーの一冊として刊行されたときには、最後の犯人の名前が伏せ字になっていたという「犯人当て」長編がこちら。謎の密航者、密室で殺害される一等航海士、そして犯人当て。わりとオーソドックスな本格の道具立てを備えた一作ですが、やはり中盤のサスペンスの迫力が無類なのです。「なぜ不可解な状況が生じたか」に着眼した論理展開は、今読んでも古びないパズラーの味です。

     シリーズを除くと、『大暗礁』(光風社、1961年、品切れのため入手困難)という短編集も素晴らしい。こちらは老船長・桑野を巡る短編集ですが、犯人当ての結構を備えた「マラッカ海峡」、船の上で犯罪(それも殺人とかではなく、より大きな犯罪)を企てる人間を倒叙風に描き、サスペンスとドラマを両立させる「誤差一分」「大暗礁」、そして桑野の殉死そのものを謎とし、法廷ミステリに仕立てる傑作「殉職」と、どれも外せない名短編集です。徳間書店(Tokuma novels)のアンソロジー『血ぬられた海域 海洋推理ベスト集成』の収録作「天国は近きにあり」あたりと合わせて五編で復刊とか……いや、やはり難しいですかね……。

    「たしかに、船と人と海の世界を書くことは難しい。日本人読者の身内に眠っている血をかきたてることはなお難しい。だが、誰かが書かなければならない。誰かが日本人の体内にひそむ海洋民族の血潮を目覚まさなければならない」(『衝突針路』あとがきより)

     熱い思いから、海洋ミステリの理想を追い求めた高橋泰邦の小説は、今読んでもなお、心の中にある何かを熱くさせます。それは彼の小説が、船の世界を緻密に描き、同時に、人間を描いているからだと思うのです。

    (2021年3月)



第9回2021.02.26
無比のヒーロー、ここに在り! ~寡黙な男が全てを救う~

  • ロバート・クレイス、書影


    ロバート・クレイス
    『危険な男』
    創元推理文庫

  •  今月の二冊目は、なんといってもこいつを取り上げないといけません。ロバート・クレイス『危険な男』(創元推理文庫)!

     直近の邦訳『指名手配』(エルヴィス・コール・シリーズ)が2019年5月だったことを考えると、まだ2年は経っていないのですが、随分首を長くして待っていた気がします。ジョー・パイク・シリーズの邦訳を待ちわびていたからでしょう。前に邦訳された『天使の護衛』は2011年8月。なんとほとんど10年ぶりの刊行になるのです。

     クレイスはデビュー作『モンキーズ・レインコート』以来、ロスの探偵エルヴィス・コールと、そのパートナーであるジョー・パイクのコンビを書き続けてきました。コールは陽気なおしゃべりで、しかしただのお気楽男ではなく、信念を持った陽気さで世界を愛する。パイクは警官上がりで、凄腕の元傭兵という異色の経歴を持つ寡黙な戦士。正反対ですが互いを信頼し合うこのコンビの活躍は、いつ見てもシビれるほどカッコ良い。私は特に『ララバイ・タウン』という作品が大好きで、あそこに書かれた1990年代のアメリカの風景に、懐かしい何かを感じてたまらないのです。

     そんなシリーズからポップアウトした新シリーズが、ジョー・パイクを主人公とした「ジョー・パイク・シリーズ」というわけです。前述の『天使の護衛』が一作目にあたります。交通事故によってとある犯罪者と顔を合わせてしまった大富豪の娘が、命を狙われる。パイクは彼女の護衛を務め、冒頭からクールな銃撃戦を繰り広げる。そしてコールの活躍もしっかり楽しめる。パイクがコールに電話をかけ(このシーンがまたたまらないのです。パイクは電話では一言二言しか話さないのですが、コールもそれに慣れきっているんですよね)、コールが「何が起こっているのか」の調査に参入してから、事実は二転三転。アクションだけでなく、プロットと心理描写でも巧みに読ませる名品です。

     さあ本作『危険な男』も、スピード感では負けていません。冒頭わずか4ページ、愛おしい家族の風景の中に不穏な何かを忍ばせるシーンの妙だけで舌鼓を打ってしまいますが、次のページではもう銀行員の女の子が拉致されることがほのめかされ、程なく実行。現場に居合わせたパイクは、放っておくことが出来ず助けに入る。このシーンだけでもとんでもなく面白いのに、事態はこの後二転三転。なぜ彼女が狙われるのか、という謎で牽引しながら、コールの活躍や、誘拐犯たちの視点でもしっかり楽しませてくれます。

     ロバート・クレイスは最初、完璧な一人称ハードボイルド小説を書く作家だと思ったのですが、こうして多視点サスペンスをものにして、今なおエンタメの雄であり続けていることに感動させられます。パイクは寡黙な男なので、三人称記述がしっくり来るんですよね。逆にコールの内面描写はいちいちニヤッとします。この塩梅が実に楽しい。

     ロバート・クレイス、もっと読みたい。あまりにも楽しみにしすぎて、今回も発売日に読んでしまいました。エルヴィス・コール・シリーズの『ララバイ・タウン』『死者の河を渉(わた)る』あたりも大好物ですが、相棒を失った刑事と相棒を失ったシェパード、マギーがかけがえのない「相棒」となり再生するまでを描く『容疑者』、その一人と一匹に加えてコール、パイクの二人もゲスト出演し、交錯するフルスロットルエンタメ『約束』も最高です。『約束』なんて全ページ面白い。

     クレイス作品の何がそんなに私を魅了するのかと言われれば、クレイスの小説が飛び切り格好良いからです。コールの饒舌さの中に潜む愛が、パイクが寡黙さの中に隠す世界への怒りが、私の心を震わせるからです。

     『死者の河をわたる』の解説に一部引用されたクレイスの言葉に、「人間の心以外は書くに値しない」というものがあります。多彩な陰影を持つ登場人物の中に、人間への対称形の理想を投影したかのようなパイクとコールの姿が、私には永遠に眩しく映るのです。

    (2021年2月)



第8回 特別編22021.02.12
ランドル・ギャレットの世界 ~SF世界の本格ミステリ~

  • ランドル・ギャレット、書影


    ランドル・ギャレット
    『魔術師を探せ! 〔新訳版〕』
    ハヤカワ・ミステリ文庫

  •  1月29日頃から、早川書房〈このミステリがヤバい!〉フェアが展開されています。四人のミステリ作家が、海外本格の名作四作にそれぞれ推薦文を寄せる、というもの。

     円居挽(以下、敬称略)がクリスチアナ・ブランド『ジェゼベルの死』、青崎有吾がコリン・デクスター『キドリントンから消えた娘』、斜線堂有紀がポール・アルテ『第四の扉』、そして私がランドル・ギャレット『魔術師を探せ!〔新訳版〕』。推薦文の内容などは、早川書房のnoteにも掲載されています。

     このフェア、面白いのは担当編集が「次の展開」を考えて組み立てたであろう「手つき」が感じられること。長らく絶版だった『キドリントンから消えた娘』の新カバーによる復刊が目玉なのは間違いありませんが、アルテは『殊能将之読書日記』で「傑作」と紹介された『死まで139歩(仮)』が今年刊行予定といいますし、ギャレットも品切れ中の『魔術師が多すぎる』の復刊に向けた編集者の野望についてチラッとnote記事内で言及されています。古き良き傑作を、新たなパッケージで打ち出し、次に繋いでいく。そんな力にあふれたフェアだと思います。

     そこで今月の一冊目は『魔術師を探せ!〔新訳版〕』を取り上げようと思います。決して帯文を書いたから、というわけではなく、読んでいるうちに色んなものと繋がって、今感じたことを書き留めておきたくなったからです。昨年のクリスマスに続き二度目の特別編です。

     本作はSF作家ランドル・ギャレットによる本格ミステリ・シリーズから、中編三編を収めた作品集です。他に長編『魔術師が多すぎる』(早川書房、品切れ中)が出ており、各雑誌、アンソロジー等でシリーズの短編が訳されています。

     科学の代わりに魔術が発達したパラレルワールドの英国で、魔術が絡んだ犯罪を、魔術による捜査で解き明かす。痛快な本格ミステリです。探偵役のダーシー卿と、法廷魔術師のマスター・ショーンのコンビもお互いに信頼感があって良いですし、何より、推理と魔術捜査を役割分担したのがうまいところ。ダーシー卿の推理に必要な魔術知識は全てショーンの口から説明されるため、バランスの取れたフェアプレイを実現しているのです。

     長編『魔術師が多すぎる』で起こるのは直球の密室――不可能殺人ですが、『魔術師を探せ!』では「不可解」な犯罪が多いのが特徴的です。身元不明の死体と、消えた侯爵の謎はどう関連するのか。なぜ死体は藍色に染め上げられていたのか。これらの不可解な謎が、現実的な論理で解きほぐされていく過程には、確かな本格の快感があります。

     もちろん特殊設定ミステリの語で捉えてもいいですし、設定が社会に浸透して一つの世界をきちんと形作っている意味でSFミステリでもありますが、「ダーシー卿シリーズ」にはそれらの語だけでは済まないような奥行きが感じられます。

     なぜそのような奥行きが感じられるのか、その理由を自分なりに探るために、補助線を一本引こうと思います。都筑道夫の「モダーン・ディテクティヴ・ストーリイ」という概念です。この語は都筑道夫が理想とした謎解き小説の理念を多岐に含むものですが、おおざっぱに言って、ここでは「不合理な謎を論理によって解き明かすことを、何より優先しなければならない」という理念の核を捉えておきます。トリック不要論も、シリーズ名探偵を求める後段の議論も、全てはこの核に立脚していると思うからです。

     ここで都筑道夫の話が出るのは唐突に思えるかもしれませんが、キッカケがあってのことです。『魔術師が多すぎる』の解説は、早川書房の編集者であった都筑道夫が執筆しているからです。SFとミステリの関係性やSFミステリの難しさなどを分析した名解説ですが、まず重要な箇所を、少し長いですが引いてみましょう。

    「(……)この場合のSFはサイエンス・フィクションではなく、スペキュレイティブ・フィクションであるわけだが、それを本格推理小説としてまとめた点に、新しいSFファンは不満を持つかも知れない。謎とき推理小説にはルールがあって、それをまもることの古風さが、まずスペキュレイティブ・フィクションの自由奔放さと相反するものだからだ。しかし、いっぽう推理小説ファンにとっては、その不自由さに魅力がある。かぎられた枠のなかに、思いがけない変化を見いだすことが、本格推理小説ファンの楽しみなのだ」

     この箇所に登場する「スペキュレイティブ・フィクション」という語は、1960年代から70年代前半、SF界で巻き起こった「ニューウェーヴSF運動」において使われ、従来のSFに哲学的、思弁的な要素を持ち込もうとしたものです。特にハーラン・エリスンがこの理念に意欲的だったことは、これまた早川書房で最近完訳されたアンソロジー『危険なヴィジョン〔完全版〕』(全3巻)の序文からビシバシ窺われて、この話もまた面白いのですが、今日は本筋ではないので脇に置いておきます。

     都筑道夫『黄色い部屋はいかに改装されたか?』(フリースタイル、以下『黄色い部屋~』と表記する)の解説において、法月綸太郎は「都筑のモダーン・ディテクティヴ・ストーリイ論には、六〇~七〇年代前半のニューウェーヴSF運動の担い手たちが掲げたスペキュレイティブ・フィクションという理念に通じるセンスが感じられます」と述べています(この引用箇所はこの後理念を推し進めた時の危うさにも言及していますが)。その相似性を分析するのはここでは差し控えておきますが、ここでは二つの概念の同時代性を確認し、その概念が提唱された時代の中にランドル・ギャレットの「SF本格」もあったことを意識しました。『魔術師が多すぎる』の原書が1966年刊行、ポケミス刊行が71年7月、『黄色い部屋~』は70年10月から71年10月にかけて連載されていました。数々の締め切りに追われる中、都筑はギャレットの作品に触れ、解説を著したことになります。

     翻って、都筑道夫の実作を探ってみます。都筑道夫の短編には、「犯人以外の意図・価値観が介在して、事件が不可解・不可能な様相を呈してしまう」という趣向が数多く見られます。ネタバレになってしまうので具体的な名前が挙げられないのが残念ですが、「犯人以外の意図」とは、「被害者自身」や「犯罪以外の価値観を持った関係者」のことです。

     都筑道夫は先述した『黄色い部屋~』の中で、ジャック・リッチーの短編“By Child Undone”とエドワード・D・ホックの「長方形の部屋」を比較し、前者の犯罪者の計画の「危険」さを指摘、「トリック中心の本格推理小説の、これは落ちこみやすい落し穴です」と言っています。後者は「この解決は、すばらしいと思います」「犯人のトリックはなく、状況から生みだされた謎があるだけですが、その謎が読者の興味をそそるに足るもの」であると述べています。都筑道夫の実作はまさにこの「状況から生み出された謎」という感覚に立脚していると思います。その「状況」というのが、先に言った「犯人以外の意図」ではないかと。犯人が不自然なトリックを仕掛け、謎が生まれたとするのでなく、犯人自身も様々な意図やアクシデントに翻弄されるなかで、不可解な犯罪が生じてしまった、と構成する。エラリー・クイーンの実作を都筑が気に入っていたのも、畢竟こういう点だと思います。

     そして、「ダーシー卿シリーズ」では、SF設定である「魔術」というものが、この「犯人以外の意図」になっていると思うのです。犯人の計画を超えて、「魔術」のルールに従うことで(従わざるを得ないことで)、犯人の意図していなかった不可解な謎が生まれてしまう。つまり、犯人もまた、魔術の論理に縛られる。とすれば、これは「魔術により形作られたモダーン・ディテクティヴ・ストーリイ」とも言えるのではないかと。だからこそ今でも新鮮に読むことが出来、論理も古びない。

     とはいえ、そんな理論をギャレットが考えていたとは思いませんし、都筑道夫がギャレットを読んで考えたなんてことも思っておりません。この感覚とは究極的に言ってしまえば一つの事実に基づいていると思います。世界が先に立っている、という感覚です。

     ミステリであろうとすること、犯罪を描くこと以前に、そこに魔術により形作られた世界があり、ルールがあり、論理がある。その世界が先に立っており、犯人もまた、その世界の住人である。だからこそ、犯人もまた、そのルールに縛られ、もがき、意図せぬ謎を作ってしまうこともある。先に引用した解説の個所の中で、都筑は「謎解き推理小説にはルールがあって」「その不自由さに魅力がある」と述べています。まさに、この「不自由さ」こそが、犯人をも縛り付けるのです。まず先に世界があり、思索があり、ルールがある。堅牢に作られた世界そのものが、犯人をも縛る枷になっているのです。世界の一部である魔術は犯人だけでなく、探偵たちにも味方し、例えば「その眼は見た」(『魔術師を探せ!』収録)では、「そんなことまで分かるの?」と言いたくなるような魔術捜査の凄さと、そこから生まれるツイストが見事なオチになっています。このオチは、もちろん犯人の意図したトリックなどではありません。これもルールが公正であるがゆえです。

     例えば、ある犯罪を実行するためにルールが作られることがあれば、それは作者と犯人が共犯関係を取り結ぶことになります。その瞬間、作り上げた世界のほころび、ほつれが見えてしまう。世界が先に立っていれば、ほころびは生じない。

     世界が先にあるとは、SFとして読めばごく当たり前のことで、なんらすごい結論ではなく恥ずかしいのですが、大きな回り道を経て、それが実感として確かめられた気がしたので、ここに残しておきます。

     そして、この「世界が先にある」「犯人もまた世界のルールに縛られる」という感覚は、SFミステリのシリーズ化を可能とする意味でも、かなり有効ではなかったかと思います。SF設定を連ねていったとき、どうしても「前作品に出てきた魔法でこれは解決できるのではないか」「なぜ前作の魔法が使われていないと言い切れるのか」というツッコミを避けるのは難しくなります。SFは世界を広げるものであるため、どこかで確定させる手はずが必要になります。ところが、『魔術師』シリーズはそこも軽やかに超えてみせる。世界観全体が先に完成していれば、どの魔法が今回関わるかは、ショーンによる魔術捜査であらかじめ確定させてしまえばいい。この世界にある魔法全てをその都度説明しなくてもフェアプレイを実現でき、読者と探偵の立場を対等にしているのは、こういう細かな点です。面白いのは、スペキュレイティブ・フィクションという「自由奔放な」ものを介在した結果として、トリックではなく不合理な謎を押し出し、シリーズ名探偵を使う、まさに都筑道夫の「モダーン・ディテクティヴ・ストーリイ」に合致する作品が出来上がっていることです。

     これは補足ですが、日本にも、似たやり方で「SFミステリのシリーズ化問題」をうまく解消している作品群があります。西澤保彦の〈チョーモンイン〉シリーズです。『念力密室!』に顕著ですが、「観測装置」によってどんな種類の超能力が使われたいつ、どこで使われたかまで特定し、ホワイダニットに問題を絞るというやり口は、まさしく都筑理論をSFミステリで達成した好例といってよく、ランドル・ギャレットの世界の延長線上にあるものだと思います(脱線ですが、創元推理文庫版『退職刑事6』に収録された西澤保彦の解説は、『退職刑事』の変遷から先駆的評論家/実作家としての都筑の像を、西澤作品の登場人物のような妄想めく推理で明かしていく名解説でオススメ)。

     ランドル・ギャレット、西澤保彦の実作、そして都筑道夫の評論を読み返す中で、自分の作品を顧み、反省するような時間を過ごせました。

     そんな思いを込めての帯文50文字は、ぜひ店頭や早川書房のnoteでご覧ください。そして『魔術師を探せ!』、ぜひご一読を。

     それにしても、「ダーシー卿シリーズ」は粒揃いで実に素晴らしいのです。長編の『魔術師は多すぎる』はわが理想にして最愛のSFミステリなのでぜひ復刊してほしいですし、未収録短編だと急速に年老いた死体の謎が極めてロジカルに解かれる「十六個の鍵」、『オリエント急行の殺人』パロディーまでぶち込んだ「ナポリ急行」、ダーシー卿とショーンの出会いを描きながら、ポーランド軍の所在が分からないというユニークな謎を展開する未訳短編“The Spell of War”等まだまだ好きな作品があります。「ダーシー卿」フリーク、増えないかしら。

    (2021年2月)



第7回2021.01.22
進化し続ける「探偵自身の事件」

  • ジョー・ネスボ、書影


    ジョー・ネスボ
    『ファントム 亡霊の罠(上・下)』
    集英社文庫

  •  来週、1月30日から第1回「みんなのつぶやき文学賞」の投票が始まるようです。昨年まで「Twitter文学賞」という名前でしたが、今年から名前を変えて立ち上げるとのこと。Twitterで読者投票出来るので、気になる方は投票してみては。年末のランキング企画とは一風変わった、SNS時代の文学賞に注目していきたいところです。

     さて、今月の二作目はノルウェーの作家ジョー・ネスボの『ファントム 亡霊の罠』(上下巻)。ハリー・ホーレという警官が主人公のシリーズの九作目。〈ハリー・ホーレ・サーガ〉とでもいうべき大部です。ちなみに前作のネタバレはないので、ここからでもいけます。

     このサーガ、とにかく驚かされるのは、高い謎解きのセンスとハリー自身の物語の厚みが同居していること。警察小説ではありますが、シリーズの中ではハリーが一匹狼として事件を追う作品のほうが深く心に突き刺さります。

     作者はあまりにも徹底してハリーを追い込みます。第三作『コマドリの賭け』から始まる「ハリーの相棒三部作」では、アルコール漬けになってボロボロになりながら連続殺人鬼を追うハリーの姿が胸に迫りますし(第五作『悪魔の星』)、第六作『贖い主 顔なき暗殺者』以降、集団としての警察組織と、個人としてのハリーの相克は苛烈なほど描かれていきます。ネスボは「探偵耐久実験」でもやっているのかと言いたくなるほど、壮絶な起伏です。

     そして、『ファントム』は中でも飛び切り凄い。何せ本作では、ハリーはもはや「警官」の立場すら追われているのですから。彼はある容疑者の無実を証明するべく、組織にも属さず、一人事件を追うことになります。

     その容疑者というのが、自分の「息子」――息子同然に接してきた青年、なのです。

     あまりのことに「待ってよ! どうしてそんなに酷い目に遭わせるの!?」とネスボに向けて叫んでしまいました。証拠は完全にオレグが犯人だと示している。絶体絶命の状況です。ハリーはそれでも、オレグにかかった容疑を覆すため、奮闘する。

     下巻の第四章以降、めまぐるしく容疑者が入れ替わり、フーダニットの面白さはかなりのハイレベル。おまけに謎解きの端緒となる伏線の置き方までユニークとあっては。

     ジョー・ネスボ、やはり凄い作家です。同じ集英社文庫から出ているノンシリーズの 『ザ・サン 罪の息子』は良いサスペンスだったし、早川書房から出た別シリーズ『その雪と血を』『真夜中の太陽』は好対照をなす二作で、共にノワールの名品だし。『ファントム』の続編、第十作の“Police”、英訳版で読んでみようかな……。

    (2021年1月)



第6回2021.01.08
形式の冒険 ~『驚き』の復刊~

  • 清水義範、書影


    清水義範
    『国語入試問題必勝法 新装版』
    講談社文庫

  •  2020年12月号の「小説現代」に面白い企画が載っていました。謎の作家「X」による長編小説「XXX」一挙掲載。1959年のアメリカを舞台にしたハードボイルドで、黒人コミュニティとの交流の書き方も好みだし、フーダニット興味もしっかりと。満足して、何よりまず思ったのは、「なんのバイアスもなしに読む」経験の貴重さでした(この作家のものだから面白いに違いない! というプラスの先入観も、一種のバイアスですし)。読む時の自分も試されているような。同誌の2021年1月号では、名前を明かしたその作家のインタビューが掲載されていて、タイトル募集もしていました。気になる方はチェックしてみては。

     発表の仕方、作品の「形式」で遊ぶような企画はこれからも見たいものです。そこで今月は、そんな「形式の遊び」を体現するような復刊書籍を一つ。清水義範『国語入試問題必勝法 新装版』です。

     清水義範はパロディ、パスティーシュを大得意として、私はユーモラスな推理小説シリーズもお気に入り。中でも、表題作の「国語入試問題必勝法」は、抱腹絶倒の名短編なのです。

     誰しも、国語入試に悩まされたことはあるでしょう。現代文の難解さとか、小説の読み方に正解はないはずなのに唯一の解を求められる理不尽さとか。

     そんな国語入試が大嫌いな主人公・浅香一郎が、月坂という家庭教師に「必勝法」を教わる、というのが短編のスジ。なんともうさんくさい感じですが、「この種の問題は、原文とは無縁の点取りゲームにすぎないんだよ」と喝破する月坂は、まるで塾のカリスマ講師のよう。次々披露される眉唾物の、いやしかし、どこか真理を突いていそうなテクニックの数々がなんとも可笑しい。

     素人によるリレー小説を偽作する「人間の風景」や、丸谷才一のパロディ「猿蟹合戦とは何か」など抱腹絶倒の全七編。私はこの本の他には『主な登場人物』などが好きです。本編を読まず、登場人物表だけで本編を妄想する話です。

     さて、ここまでで目安の800字なので、以下は完全に余談です。『国語入試問題必勝法』の復刊タイミングに驚いたのは、まさに1月29日発売の「ジャーロvol.74」に載る私の短編で、「国語入試問題必勝法」をエピグラフとして使用しているからです。2021年、コロナと新制度入試で変わる受験界を舞台にした推理小説で、タイトルは「2021年度入試という題の推理小説」(タイトル元は都筑道夫『怪奇小説という題名の怪奇小説』です)。

     こういうものに挑みたいと思ったのは、やはり高校生の頃、「国語入試問題必勝法」に触れた経験があったからだと思うのです(他に、『ウンベルト・エーコの文体練習』や法月綸太郎『挑戦者たち』に触発された面もありますが)。だからこそ、狙い澄ましたような復刊タイミングに驚きました。講談社のほうでも、新制度入試にかぶせる意味があったのかもしれません。

     とまれ、今回の作品も古い形式を使った新しい推理小説を目指しました。全体のトーンは「六人の熱狂する日本人」(『透明人間は密室に潜む』収録)に近いでしょうか。昔、塾講師のアルバイトをさせてもらったりしていたので、愛のある業界に対して時折やってしまう、すちゃらか・フルスロットル本格です。

     ここで書きすぎると、いずれ書きたい「あとがき」で書くことがなくなるので、今日はこの辺で!

    (2021年1月)



第5回2020.12.25
🎄クリスマスにはミステリを!🎄

  • マイ・シューヴァル、ペール・ヴァールー、書影


    マイ・シューヴァル
    ペール・ヴァールー
    『刑事マルティン・ベック
    笑う警官』
    角川文庫

  •  ※作中、訳の明記がない引用は全て新訳(訳者・柳沢由実子)に準拠。

     今になってマルティン・ベックシリーズにハマっています。全作良いので「完全攻略」はいずれどこかでやりたいのですが、今日はクリスマス。それなら『笑う警官』の28章の話をしましょう。ミステリ部分のネタバレはしませんのでご安心を。『笑う警官』の28章、このたった一章の精読を通じて、ストックホルムのクリスマスの風景を感じ取ることが出来ますし、この小説の眼差しのありようにも迫れるのではないかと思っています。というわけで、今回は特別編です。

    『笑う警官』で起こるのは市バス内で八人が銃殺される大量殺人。被害者の一人の若い刑事・ステンストルムの行動を追い、彼の私生活に分け入っていくところにミソがあります。刑事の私生活を書くことは、主役刑事たちに対して作者がずっとやってきたことでもあります。

     28章はそんな主役刑事二名、マルティン・ベックとレンナルト・コルベリが迎えるクリスマス・イブの日。シリーズは全作「30章」で構成されていますが、28章には20ページ以上の紙幅が割かれており、29・30章が事件解決に向けたものであることと比較すると、私生活を描いたこのシーンの厚みが際立って来ます。29章以降は新年にかけて描いているので、今の時期にぴったり。

     28章は最も重要な章と考えられます。タイトルにもなっている「笑う警官」のレコードがかかるシーンであり、事件解決に至る大きな手掛かりを得るシーンでもあるからです。後者についてはミステリ部分に関わるので省略し、「笑う警官」の話をしましょう。聞いたことのない人は「The Laughing Policeman」とYouTubeで検索すれば原曲に当たれるので聞いてみてください。

     なんとも陽気な曲です。高見浩訳では「高らかな笑い声」、あるいは『警官殺し』で再登場する際「哄笑」という語が使われますが、笑い声が印象的で耳に残ります。「聞いていると笑いがうつるらしく、インガもロルフもイングリットも笑いこけている」とあるように、一家団欒の小道具として効果的に用いられています。

     1922年にイギリスで発表されたコミックソングで、本国では子ども番組などでかかっていたらしいです。1898年のジョージ・W・ワシントンによる"The Laughing Song"が音楽やメロディ、笑い声の元といいますから、作中でコルベリが「第一次世界大戦前からのものだ」と言っているのはこれを受けてのことでしょう。作中でマルティンは娘のイングリットから、この「笑う警官」を収録した「笑う警官の冒険」というタイトルの「四十五回転のEPレコード」を贈られます。彼女にとってこれが会心のプレゼントだったのは、24章で笑顔の少ない父に「クリスマスイブにはきっと笑うわよ、パパは」/「ええ。あたしのプレゼントをもらったら笑うにきまってる」と予告しているのを見ても明らかでしょう。警官の父親にこのレコードを贈るのが、彼女なりのしゃれだったわけです。

     ところが、そんな会心のプレゼントを貰い、曲を聴いてなお、マルティン・ベックは笑うことが出来ない。

    “「パパ、ぜんぜん笑わなかったわね」不機嫌そうだ。
    「いや、とてもおかしいと思ったよ」と言ったが、説得力はなかった。”

     続けてかかる「陽気な警官たちのパレード」もそうですが、歌詞の中では「警官」を戯画化して描いています。家族にとっては現実を忘れ、団欒を愉しむのが目的です。ところが、マルティンは「レコードのジャケットを見つめた」「ステンストルムのことを考えた」とあるように、彼の意識はすっかり目の前の家族から離れてしまい、現実を見つめている。そこに決定的なずれがあります。

     一方のコルベリも家族の団らん中に電話を受け、受刑者と話をするべく刑務所に向かうことに。かくて、彼は事件の手掛かりを手に入れますが、妻には「食事が。すっかりだめになってしまったじゃない」と涙ながらに出迎えられる。気の利いたフォローを入れているのがコルベリのいいところですが、注目すべきはコルベリの帰宅後のシーンにも、マルティンからの電話越しに「笑う警官」の笑い声が響いていることです。かくして、クリスマス・イブにも仕事を忘れられず、現実に生き、家庭の中で不和を抱えた二人の警官を、戯画化された太った警官の笑い声が包み込んでいる。その笑い声のエコーが結末にも響いていることは言うまでもありません。

     また、28章では以下の表現も印象的です。

    “街は静まり返っていた。唯一、動いていたのはよろよろ歩きのサンタクロース。それも任務を果たすには遅すぎ、酔っぱらい過ぎたサンタ。彼らはたくさんのスナップスを、たくさんの振る舞いが大好きな家でごちそうになってすっかりご機嫌だった。”

     どこか温かいまなざしで、「しょうがないなあ」と見つめるコルベリの視線を感じる表現です。19章で「お祭り騒ぎの前触れの年中行事、すなわちぐでんぐでんに酔っぱらったサンタクロースたちが建物の入り口や公衆便所から担ぎ込まれる」と書かれているのと比較すると一目瞭然。そんな端々の描写もあって、『笑う警官』の28章は、家庭内の不和という要素はあるにもかかわらず、ストックホルムのクリスマス・イブの幸福な光を切り取ったシーンのように私には感じられるのです。

     最後になりますが、旧訳の高見浩氏訳と新訳の柳沢由実子氏訳を28章のみ読み比べて気付いたことを書き留めておきます。

     まず、このシリーズにはスウェーデン独特の固有名詞が多いとは聞いていましたが、まさにその通りで、たとえば高見「両親の墓」→柳沢「スコーグ教会墓地」、「しょうが入りケーキ・ビスケット」→「伝統のねじり棒の揚げ菓子クレネッテール」など、ストックホルムの異国情緒に染まる意味では新訳が好ましい。とはいえ、軽妙洒脱な高見訳もやっぱり面白いですね。

     そして、28章には新旧で大きな違いがあります。「笑う警官」の歌詞が旧訳には書いていないのです。旧訳は英訳版からの重訳で、新訳はスウェーデン語から原語訳したことが一つのウリになっていましたが、この異同は恐らく偶然ではありません。理由の一つは先に言及した「陽気な警官たちのパレ―ド」の歌詞は旧訳にもあること、もう一つは、「笑う警官」の歌詞を受ける形で、新訳では結末に二行追加されているからです。この異同は、「笑う警官」という曲の出自にも理由があるのかもしれません。1922年にイギリスで発表された「笑う警官」は、1955年にスウェーデンで新しいバージョンが作られます。1898年を始点にすれば、約30年周期で新しい命が吹き込まれていることになります。スウェーデンではまだ「若い」曲だから聞いたことのない世代がいて、一方マルティン・ベックぐらいの年なら原曲に触れたことがある、とすれば共通理解のため歌詞の表記は必要です。反対に、もしかしたら、英語圏では歌詞をあえて書かなくてもいいくらい有名な曲だから歌詞が省かれたのかもしれません(その辺りは一か月では調べきれず……)。仮説以上のものではありませんが、この二行の違いは、新旧訳の違いの中でもかなり大きなものだと言えるでしょう。

     ただでさえ印象的な結末が、この二行の、ある男の反応によって感動的なユーモアに変貌するのです。28章から通奏低音として流れる「笑う警官」の高らかな笑い声と共に、『笑う警官』はクリスマス・イブの幸福な光を閉じ込め、今もなお、警察小説の金字塔として燦然と輝き、そこに在る。

    (2020年12月)



第4回2020.12.11
年の暮れにSFミステリの理想を夢見ること

  • ケイト・マスカレナス、書影


    ケイト・マスカレナス
    『時間旅行者の
    キャンディボックス』
    創元SF文庫

  •  この度、拙著『透明人間は密室に潜む』が「本格ミステリ・ベストテン」で第一位の名誉に与りました。ありがとうございます。他の順位も続々出ていますが、過去最高順位ばかりです。皆様の応援のおかげです。デビューから四年目、一歩一歩踏みしめるように進んできて本当に良かったと思います。これからも倦まず弛まず精進し、この読書日記も「死ぬまで」続けていきます(言いましたね?)。

     さて、気持ちも新たに12月の1冊目はケイト・マスカレナス『時間旅行者のキャンディボックス』。毎年あるんですよ。ランキング投票後に、超好みの本を読み後悔すること。2年前のハーディング『嘘の木』、去年の呉勝浩『スワン』等。

     で、本書。タイムトラベルが実用化され、タイムトラベラーが巨大組織により管理されている社会を描いたSFなのですが、主題の一つに射殺体、密室殺人という謎が据えられていて、意外な犯人・トリック・動機までしっかり炸裂する本格ミステリであるという。

     私はSFミステリというのは、設定やアイデアだけではなく、それがあった時に人間や社会がどう反応し、適応していくかというところまで触れて欲しいという理想があるのですが、本書はその思いに応えてくれる作品。

     例えば、タイムトラベラーは未来の自分の死期や恋人の死を見てしまうので、死生観に大きな揺らぎが生じ得る。そこで、就任試験にあたっては、心理テストを行って、精神的に健全な人間を登用しようとする。巻末にはそのテストがそのままついたりしているわけです。

     他にも、邦題にもあるキャンディボックスは、タイムトラベル機構を用いて、中に入れたキャンディが60秒後に出てくるようにした子供のおもちゃ。奇抜すぎず、しかし質感のある小道具なのが面白くて、しかも違法改造の記録に挑むチーターたちがいるなんて描写まであってニヤリとします。ここには、「時間旅行」という一つの特異点によって区別された、しかし、私たちと似姿の社会がくっきり描かれている。

     SFとして楽しく、謎解きミステリとして見事、時間・性を超えた愛憎のストーリーも面白いという。やられました。目が離せない作家がまた一人。

    (2020年12月)



第3回2020.11.27
〈ショーン・ダフィ〉、完全開眼!
北アイルランドの鬼才に乗り遅れるな

  • エイドリアン・マッキンティ、書影


    エイドリアン・マッキンティ
    『ガン・ストリート・ガール』
    ハヤカワ・ミステリ文庫

  •  今年からミステリ・ランキング投票のうち「このミステリーがすごい!」のレギュレーションが変わり、奥付9月までの本が対象に。一か月前倒しになった形。例年、「このミス」に投票すると年末ムードに入りますが、今年はロスタイムの気分です。

     今月の新刊はエイドリアン・マッキンティの『ガン・ストリート・ガール』。1980年代、紛争が続発する北アイルランドを舞台に、刑事ショーン・ダフィの活躍を描くシリーズの4作目です。このシリーズ、警察小説とハードボイルドの魅力ムンムンで、注目していました。

     1作目『コールド・コールド・グラウンド』ではバラバラ死体、3作目『アイル・ビー・ゴーン』では密室と、作者はガジェット型の謎を用意してきましたが、むしろシリーズの魅力は「ダフィがこの情勢下でいかに動き、選択し、過去や現在に立ち向かうか」を描き切るところでした。だからこそ、『アイル・ビー・ゴーン』ラスト100ページの熱に浮かされたような文章と展開に胸打たれたのです。

     そして4作目の本作では、そうした魅力はそのままに、捜査小説としての面白さがグンと高まっている。両親が殺され、子供は失踪。これまでよりシンプルに見えるこの事件が、捜査を進めるうちに次々様相を変え、加速していく。この読み味を加えた上で、ダフィの物語としても熱を放っているとあっては。巻を措くあたわずとはまさにこのこと。助手役の刑事のキャラや「因縁」のあの女を巡る展開がまた良いのです。

     次作『レイン・ドッグス』は、1作目の訳者あとがきで早くも触れられていて、とても期待していたタイトル。帯裏によれば来年刊行予定とのことで、また来年の愉しみが一つ増えました。

     ちなみに、私がこのシリーズを最初に手に取ったきっかけは、中学の頃読んだ石持浅海の『アイルランドの薔薇』でアイルランド情勢にある程度興味を持っていたおかげ。そう思うと、読書はちゃんと繋がっていく、と感じます。

    (2020年11月)



第2回2020.11.13
新しいのに懐かしい、名手のニューヒーロー!

  • ネヴァー・ゲーム、書影


    ジェフリー・ディーヴァー
    『ネヴァー・ゲーム』
    文藝春秋

  •  10月分の2冊目はジェフリー・ディーヴァー『ネヴァー・ゲーム』。もはや秋の風物詩となった名手ですが、今回はなんと新シリーズ。しかもこれが良い。リンカーン・ライムが「動かない『静』の名探偵」だとするなら、新主人公コルター・ショウは「飛び回る『動』の名探偵」なのです。失踪人を探し出した時に出る懸賞金で稼いで、家はキャンピングカーというのがまたいい。ディーヴァ―のキャラ造形ってやっぱり半歩くらい先を行ってる気がする。

     ライムシリーズは三人称多視点を採用し、立体的に立ち上げた事件の構図の中に死角を用意してくれますが、今回は徹底して三人称一視点。ショウ自身も事件の全体像や、どの事件が繋がるのかまるで見通せないまま、暗中模索しながら走り抜けるグルーヴ感が味わえます。失踪人探しから始まり、事件の「形」がどんどん変わるのがミステリ的な読みどころ。

     彼の父親が「~べからず」の形で教えた「狩りの心得」がまた好きなんですよ。私は師弟関係が好きで、ドン・ウィンズロウ『ストリート・キッズ』、レナード・ワイズ『ギャンブラー』等がフェイバリットなのも、煎じ詰めればそれが理由。忘れがたい印象を残すいいキャラです。

     いやあ、シリーズの続きが楽しみ。しかも、訳者あとがきには「第三短編集」の文字も! ディーヴァーの短編集、二冊とも偏愛しているので、首を長くして待ちたいと思います。

     と、10月分の2作は、どちらも池田真紀子さんの翻訳ミステリになってしまった。たまたまそうなっただけですが、「この人の翻訳ならなんでも読む!」のモードに入ることってありますよね。他に偏愛翻訳者を挙げると……エッ、文字数がもう足りない?

    (2020年10月)



第1回2020.10.23
ミステリー界の"ノックス"はもう一人いる!

  • 笑う死体、書影


    ジョセフ・ノックス
    『笑う死体』新潮文庫

  •  例年、9月、10月は各種ミステリ・ランキングに向けた読書で大慌て。刊行点数も凄まじいので、凄い勢いで原稿を書いて読書もしないと終わりません。でもどんなに辛くてもやるのは、まあどれだけ暑かろうが夏コミに、寒かろうが冬コミに行くのと同じで、学生時代からこの業界にいる人特有のサガ、骨がらみの習慣です。

     そんな中から2冊。1冊目はジョセフ・ノックスの『堕落刑事』『笑う死体』(新潮文庫)。後者が今年の新刊。

     マンチェスター市警エイダン・ウェイツを主人公にしたミステリで、解説によれば原書では三作目が刊行されており、三部作となる見込みが高いとのこと。

     とにかく本シリーズの美点は、ノワールの魅力と本格ミステリの快感とが高いレベルで融合していること。

    『堕落刑事』では麻薬抗争によって、三分の一を過ぎたあたりからバタバタ人が死に、エイダンもボロボロに。結末近くなり、「俺はとにかく説明が欲しい」と言って、真相究明に動く彼のカッコよさときたら! 死体の山の中から、たった一人の死の真実を解き明かすのです。

    『笑う死体』では、身元不明でしかも歯を剥き出しにして笑っている死体の謎や、連続放火の謎が絡み合う、モジュラー型のミステリに。エイダンは夜勤の警官として街を駆けます。間違った街で、間違った人たちの中で、自分もそこに身を染めながら、でも「正しく」あろうとする……だからこそ、彼の行動の一つ一つにハラハラさせられ、胸打たれるのだと思います。三作目、切に待ってます!

    (2020年10月)